大谷敏久 作品集
鴨居玲(1928-1985)について「何を描こうと、結局画家は自分自身を描くしかないのだ。とすれば自分をどこまで描けるかでその画家の純度が決まろう。彼は文句なく現代最も純度の高い画家の一人である」の言葉が忘れられない。描くことにこのような境地があるとは思いもよらなかったが、少し解る齢になった。薔薇を描き始めている。大家の個性豊かな薔薇図に憧れてのことだが、及ばぬことは百も承知の挑戦である。美術、音楽、文学、映画などに現れる薔薇のバイオグラフィーは多い。今風に言えばnetsurfinしてwebsiteにaccessすれば資料は豊富に収集できる。薔薇をいろいろスケッチして来たが、この春から我が庭にも咲くようになった
名花として有名なピースなど5株の超ミニ薔薇園だが、結構良く咲いてくれる。薔薇も揃い、講釈も知識として持ったが、薔薇の「いい絵」を描くにはこれからが大変だ。が大いに意欲を燃やしている。齢と競争しながら「薔薇の美しさ」にどれだけ迫ることが出来るだろうか。
「ばらを描く」と意気込んではみたものの描くほどに自信を喪失して「ばらを描きたい」と思うところで頓挫しています。秋のばらが咲き出して毎日じっと眺めていると全くため息がでるばかりです。それでも途遠しを覚悟しながら描き続けたいと思っています。ばらを描く画家の感動、技量などの言葉を拾ってみると、梅原龍三郎の「ばらの開こうとする非常に弾力のある、ふくらみとその螺旋状」を、中川一政は「力強さと躍動感」を、またある画家たちは「豪華、華麗、清淡、清雅」「ばらの色、形、風情は女性の美しさの要素すべて」「清純、妖艶、爛熟、稚さ」「花弁を含めて花の質感を現すテクニック奥行きを出す構成力」等々...追い求める情熱を語っています。画家は何を描いてもその人のものでなくてはならないそうです。さて次のばらの作家は誰?
いずれゴミになると思いながら,捨て難くて取り置いたメモ、スケッチ類が、思いもかけず日の目を見ることになりました。たいへん嬉しく、有り難く、幸せなことでした。
60年前(1948・昭23)頃のスケッチが出て来たのには自分でも驚きました。スケッチに年月日を描く癖が役立って、ささやかな自分史になっています。意外に沢山ありますので、ピックアップして30歳代、50歳代、70歳代と年代毎に大別しました。ところどころ抜け落ちている時期もありますが、それはたぶん多忙、多事多端、スランプのせいもあったと思います。また今更のように感激の昂まるのを覚えるスケッチもあって、それはたぶん人生節目の転機や大きな喜びごとがあったのです。その頃の時代、仕事、お近づきの人々、心境、家庭生活等などが染み込んでいます。そして、一枚ごとに、それなりにテーマ、モチーフを追求したり、挑戦したり、模写したり、心の動揺があったり、技術を変えようと研究などを思い出させるたいへん懐かしいものでした。でもそのわりには今まで進歩していないことも考えさせられました。それは何故か。改めて「スケツチとは何か」と考えさせらました。先達の詞も含めていろいろ定義解釈がありますが、スケッチがそのまま作品(絵画市場での取引対象)のジャンルに入っていることもあり、自分勝手の解釈で選ぶことにしました。ほんのメモであったり詳しくスケッチしたりそのまま作品まで仕上げたりといろいろ試みていて、最近は作品までが多くなっています。何れも4号位以下ですが小品から大作までを制作する時の貴重な資料になっています。これからも大切に、座右に置いて活用したいと思っています。
ヒンヅゥーの人生の四期「学生期」「家庭期」「林住期」「遊行期」の「林住期」がちょうど私達の定年後でしょうか、本来の仕事を終えて家庭を出て林に入り求道生活に没頭する時期とのことですので、その時期に当たることになります。何とも難しいことですが、これからがなおさらに難しいです。でもスケッチを描き、作品を描くことが、何時も元気に楽しく活きることの大切な支えのひとつになっていることを嬉しく思っています。とにかく、周りのすばらしい人達に恵まれ、美しい自然の四季に囲まれて、ここまで精一杯に活きてこられた幸せに感謝せずにはいられません。欲深く、もうしばらくを願っています。
ありがとうございました。
2008.05.17. (88歳まで来た日に)
1. 1950-1970 04 Sketchbooks and 20 SketchSheets
2. 1971-1990 22 Sketchbooks and 40 SketchSheets
3. 1991-2008 17 Sketchbooks and 17 SketchSheets
大谷敏久