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拈華微笑(ねんげみしょう)
笠木貴美子
 釈迦が群衆を前に説法していた時、咲いていた花を一輪摘んでさし出し黙って微笑んだ。群衆は訳が解らず黙っていたが、釈迦の弟子摩訶迦葉(まかかしょう)だけが釈迦の意図を理解し、微笑んで二人が見合ったという逸話。この場で、真意をただ一人摩訶迦葉が解り、それを言葉ではなく微笑みで返した。つまり、人は微笑みだけでも心は通う。
微笑みの大切さを説いている。(拈華:花をひねること)

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この40年の思い出「アカシア会」「黒百合会」そして「東京黒百合会」のこと
柴野道夫

 「人はその一生で、どういう人にめぐり会えるかによって決まる」というが、意味深い言葉だ。私が今、絵を描く喜びをあじわい、絵を見る楽しみの生活が出来るのも、よき師、よき友にご指導いただいたおかげと感謝の念でいっぱいである。
高校時代は伝統ある美術クラブ「アカシア会」で過ごした。自治を重んずる松本深志高校では、活動は全て生徒の相談で決められた。二年生の時、新潟谷浜の合宿で海の美しさに感動し、海に生きる道に憧れたのも、この旅行がきっかけだった。
北大に入学した年、黒百合会は50周年記念の年で、記念展には岩内の木田金次郎の作品も出されていた。学生会館の2階にあった黒百合会の部室は、アカシア会とは比較にならない貧弱なものだった。
水産学部に移行した函館の環境は、絵を描くには実に恵まれた所であった。父の友人の国画会の小林邦先生のご紹介で、函館在住の橋本三郎画伯のご指導をいただき「道展」に入選した。
昭和49年の秋、作品が溜まったので個展を開こうと思いつき、この時、相談にのっていただいたのが東京黒百合会の石田哲郎さんであった。
個展の芳名帳を見ると、今は亡き小川先生、石田さん、下条さんはじめ、岡澤、大篠、笠原、岡、福原、加藤、安孫子、福田、大武、遠藤、佐々木栄一さんの記帳がある。この個展ができた年を境に地方転勤が始まり、制作のリズムも大きく狂ってしまった。
絵は一向に進歩の跡を見せないが、今、東京黒百合会の良き画友に囲まれて、多感な中学時代に小林先生から教えられた「継続は力なり」という言葉を大切に、今後も描き続けていきたいと思う。

 

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