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執筆者の写真東京黒百合会

小諸・写生会・雑感

小石浩治

◯ 小諸城

城郭は城下町である市街よりも低地に縄張りされ、市街地から城内を見渡すことが出来、穴城とも鍋蓋城ともいう。浅間山の深い谷を利用して西側の千曲川の断崖も天然の防御となっている。

1554年佐久地方を制圧した武田信玄が小諸城を拡張整備して後、明治維新後は廃墟処分となる。 

これを憂いた旧小諸藩士たちは資金を集めて城を払い受け、本丸跡に神社を祀り花木を植えて公園にし「懐古園」と命名。紅葉は一寸早かった。


◯ 林檎のもとに見えし君(藤村記念館)

[―まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけり] 明治30年(1897)発表。青春の苦悩等ロマンに満ちた処女詩集“若菜集”(「初恋」)刊行。

[―暮れゆけば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ

濁り酒 濁れる飲みて 草枕しばし慰む---]

 明治32年小諸義塾の教師となって2年後作品“落梅集”(「千曲川旅情の歌」)刊行。

 その後 明治39年,7年の歳月をかけて完成させた「破戒」を自費出版するや、漱石らの激賞を受け自然主義文学の旗手として注目された。「初恋」に詠う林檎は信州の特産。後日、台風被害の落林檎を店に並べたら即日完売に、台風を生き抜いて収穫された林檎を「不落林檎」と名付けて受験生にプレゼントした等の報道記事を見て、信州の人達の逞しさ、優しい心に少しホッとした。


◯ 菊花展(雷電)

 写生会当日は懐古園・本丸城址下で「菊花展」があり雷電為右衛門の菊人形が飾られていた。

 雷電は信州小諸在大石村生まれ、江戸後期の名力士。大関を16年間務めた。当時は大関が最高の位であって横綱を締めた。通算254勝10敗。古今最高、無敵の強さを誇った。昨今の休場続きの幕内力士とはケタが違う。郷土の誉れである。

(注)「横綱」の名称は明治43年に制定された。


◯ 赤とんぼ

小諸駅前の“スケッチ文化都市宣言”の立看板が眼を引いた。今回のスケッチポイント“そば処菖蒲庵”の庭で景色を描いていたら、赤とんぼが、描きかけの浅間山頂に止まった。水が欲しいのか、崖下を流れる千曲川を早く描けと言っているのか、ジッとして動かず、絵筆の行方を見ている。 

秋好日、腰の痛みを忘れたひとときだった。

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編集後記

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