西沢昭子
学校の美術の時間にデザインや抽象を描いた以外は、ずっと具象画を描いてきた。
改めて「そうかー」と思う。小学生のとき、しばらく通った休日の幼稚園の絵の教室で、古靴と園児の木の椅子を写生した。いつまでも忘れないのは、それが面白かったかもしれない。これは静物画だ。
その後、美術サークルや絵画教室で、花、静物、人物、風景等いろいろ描いたが、一番楽しかったのは、風や光、虫や鳥の気配を感じながら、風景と自分が息づき合うような戸外の写生だと思う。いい絵になるかどうかは別である。
現実には山や川などの大きな構造と力感はうまく描けない。
木々と親しみやすい建物のたたずまいくらいのもの。親しみやすい水辺も魅力がある。
小学校高学年の時、北大植物園の初夏の緑を写生して何かの賞でイーゼルを頂いた。
緑の階調を描いたもの。
基本は見て描かないと描けない。見なくて描ける人には感心する。
現実には室内で花や静物を描くことが多いが、つい、細部にこだわると息苦しい。
何を描くのも空間を描くことであるらしい。
齢をとって集中力、つまり体力が弱って来た時に、肩の力を抜くとか、洒脱とかいういき方があってもいいのだろうか。
日本画などではあってもよさそうだが、油絵ではどうか。
先日、知人の音楽家の「のっぺらぼうの絵」という言葉にぐさりときた。
しっかり絵の具の乗ったタブローを忘れてはならない。
色々見たり聞いたり描いたりしてきて、やっぱり、セザンヌが基本かな・・と思う。
○ 移ろわぬ構図求めしセザンヌを想いゐたれば鍋蓋落とす
○ 最後の日石切山に写生せしセザンヌ想い虔しむわれは
セザンヌとバッハは格好いい。
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