―― 経験の共有 ―― 2021.11.9
佐々木 繁
この絵(下図)は、江ノ島で仲間とヨット遊びをしていた時のもの。
それから歳を取り、ガンで余命半年と宣告され、死の恐怖と付き合い続けて7年目。読んだ関連本は100冊近く。そして70歳の今、やっと心やすらぐ言葉に出会い、落ち着きを取り戻した。
「生死は一体であり区別できない。命は大海のひとしずく。大海に戻っては次の幕が上がり、次の芝居が始まり、無限の循環(輪廻転生)を繰り返す。(東大寺の狹川長老(2020年7月で100歳)」の言葉。 宗教は、ストレスの中の最大のストレスである「死」のストレスを軽減することが目的であるとはいえ、あまりに大胆な発想ではなかろうか。しかし私は腑に落ちたのだ。
誰しも大海の波の上の泡として、新しい経験を求めて短い人生の旅に出る。この絵のような穏やかなものではなく、もっと激しく、ターナーの「難破船」やアイヴァゾフスキーの「第九の怒涛」の絵のような荒海での経験を求めて…。
翻って、私の経験とはなんだったのだろう。大学卒業後、日本の大企業を経て、米国の外資系企業を30年近く転々とした。そこは全くの別世界。会社はダイナミックに買収し、また買収され、そのたびにリストラ、レイオフが繰り返される。私もこのリストラの波に何度も飲み込まれた。合計8回ほども転職に追い込まれたのだ。
新しい仕事の引継ぎは、前任者が既に会社を去っていることが多く、机の上に英語で細かく書かれた分厚い仕事内容のドキュメントがあるだけ。ただし、周囲の優しい手助けはいつもあったのだ。そして個室。職場の空気を読む必要のない個室が割り当てられていたのだ。さすが米国企業。新参者に対する配慮は行き届いていた。
一方、部長も社長も、1年も経たないうちに頭のすげ替えがなされ、部下との間には、部下の給与の査定や、個々の任務の達成目標を議論する以外は、ほとんど無接触のまま部長業、社長業の業務をこなしている。社員たちの流出入も激しく、新しい職を求めて大学に入りなおした、お菓子のセールスマンや警察官が転職して、お門違いの半導体技術者としてやって来たりする。
他方、離婚再婚は日常茶飯事。2週間も海外出張をして家に帰ると、もう妻はいなくなっている。そこで出張先のホテルでは、毎朝毎晩、妻に電話して離婚を何とか食い止めようという涙ぐましい努力をする。
私の上司だった女性課長は三度も離婚再婚を繰り返し、旦那だった男が連れて行った、自分が産んだ子供たちも十人近くいたのだが、毎年のクリスマスパーティでは、その離婚した男たちも含め、子供たちを全部呼び寄せ、ワイワイと楽しく交流している。
会社内では個人の自由がゆきとどき、各オフィスの個々人のブースでは音楽を鳴らし、家族の写真を並べ立てる。クリスマスが近づくと天井まで届くような何個もの風船を立ちのぼらせ、皆、独自のクリスマスの雰囲気を醸し出している。12月の始めともなると、クリスマスの準備で誰も仕事が手につかなくなる。ドイツに留学させている息子を呼び寄せ、あるいはそのドイツに両親、夫婦で出かけてクリスマスを楽しんだりするのだ。
私にはこれらが「目からウロコ」の貴重な経験だった。あの日本の会社に毎日毎時間、縛られ続けていたサラリーマン生活は何だったのだろう。自由とはこういうものかと、その自由の奥深さ、生活様式の違いに驚いたのだ。
仕事内容は、一か月ごとにチェックが入るが、その間は何をしても自由。昼飯を、砂漠の気の利いたレストランで午後の3時過ぎまで食べようが、毎日、定時の4時に帰ろうが構わない。昇給を求めての、頻繁な業務の発表会を敢えてしなくとも、会社に必要なポストであれば居続けることができるのだ。必要とあれば取引先に飛行機で訪問することもできる。その承諾は上司が簡単にしてくれるのだ。私にとっては天国だった。
ところが、冒頭で述べたように60歳を過ぎて退職まぢかの時、「全身の骨に転移している進行性の前立腺がん」で「余命半年」という荒波にぶつかったのだ。まさに天国から地獄へ真っさかさま。まるで荒波の中、10mの高波の上からたたき落される感じだった。
失意の中、必死になって調べれば調べるほど「この新薬を服用すれば、余命が1か月延びる、とか、2か月延びる」とかという絶望的なものばかり。
他方で、亜流の医者たちが書いた「末期がんでも5年10年と生き延びている人々が多数いる」という本もあり、それらも手当たり次第に読んだ。
医者を替え、薬を替え、病院を替え、常食する食べ物を替え、生活のリズムを変え、運動をし、健康ツボ押しや、ビワの葉温灸等の、自分で出来る手当を、手当たり次第に行い、生き方の根本を変え、発想の転換をし、宗教にすがり、関連本を何度も読み返しサプリメントも種々飲んできた。
ただし、年金生活者であり、ほとんどこの年金のみに頼っている私は、金のかかる治療やサプリメントには手をまったく出せなかった。今となってみれば、この7年も生き延びたという以上の体験談も貴重な経験となっている。そして、人生の仕上げとして、周囲の人々に、この体験談を披露しようと、準備等活動を始めている。
さて元に戻って、様々な経験をした大海の波の上の泡の人生経験はどうなるのであろうか。
「誰しもこの世で生きた経験は、死ねば、全人類が共有するアカシックレコードに刻まれる」(エドガー・ケイシー他)。仏教の説くところでは阿頼耶識(アラヤシキ)に刻まれ、カール・グスタフ・ユングによれば集合的無意識層に刻まれるということであろうか。
マザーテレサは、路上で死を迎える、寂しげな老人に向かって「あなたは一人でも孤独でもない。あなたの人生は、あの世で皆と分かち合うこととなる」と言って慰めたそうだ。まさに生命の大海、アカシックレコードを意識していたのだろう。
ここ江ノ島の海では、ヨットやサーフィンなど、海で戯れる若者たちは多い。この若者たちも、いずれ別々の道を歩み、様々な経験を積んで大海に戻ってゆくことになる。そして、その貴重な経験は、あの世で皆と分かち合うことになるのだろうと思っている。
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