top of page
樋口正毅

寄稿 「生物のスケッチと絵のスケッチ」

フロンティア/風景との対話「樋口正毅(S35・水・増殖)」から

 水産増殖を専攻した私は、40余年ただひたすら魚の産卵孵化と稚魚の飼育に携わって来た。したがって卵発生や稚魚の形態変化は嫌と言うほどスケッチして来た。学生時代には、水産動物実験で北方の魚や磯の生物のスケッチを描かされ、学友が4時間も5時間もかかってやっと一枚仕上げるのに、私は30分ほどで描き上げ提出し、教授に「君のは絵であってスケッチではないヨ」と叱られたものだった。生物のスケッチとは、魚の鰭・刺の数は勿諭のこと、鱗の数や体長・体高まで実物と寸分違わないように点と線だけで描き、体模様や濃淡は点の密度で表し、丸ペンで墨入れしたものを指し、これらに色を付けるなどもっての他と教えられて来た。即ちスケッチに求められているのは、芸術ではなくて正確にその姿を表す事なのだ。当初私が提出していたのは、デッサンのように線を何重にも描き、鱗も線で表し、体模様は黒く塗りつぶした絵画で言うところのスケッチであった。  大学を終えて燧灘の小島に設立されたばかりの瀬戸内海栽培漁業センターに赴任した。そこで海の資源を増やそうと重要魚類の人口種苗生産を続けることになった。島で取り組んだキジハタの種苗生産の実績が認められ、中近東の「小さな巨人」と呼ばれた世界一金持ちの国クウェート国からお呼びが掛かり、1975年からクウェート総合科学研究所でヒトミハタの種苗生産に関わる事になり此処で6年ほど研究に没頭した。その後アジア開発銀行に勤務することになり、タイのバンコクに3年、フィリピンのマニラで定年までの11年間暮らした。

 海外滞在中に私的に或いは公的に40余国を訪ねる機会に恵まれた。殊に仕事では東南アジア、南太平洋の国々を担当し電気も水道も無いような辺鄙な漁村に数週間滞在したり、未だ首狩り族が現存すると言われるセピック川上流(パプアニューギニア)の小さな村に数日間滞在し漁業調査をしたこともあった。  南国の真っ青な空に映えた紺碧の海は、青く澄んだサファイアの如きで実に美しい。日本とは一味違った異国の風景や海の碧さに魅かれ、写真を主体に随分と資料を集める事が出来た。帰国後東京黒百合会の仲間に加えて頂き絵を描くようになっても、無意識のうちに細部にこだわり過ぎる事が侭ある。そうした職業病を出来るだけ排除して、持ち帰った資料をモチーフ(題材)に、その時の感動を少しでも絵に表現できるよう、一作一作に精根こめて描き上げていくことに努めている。  一段目のスケッチは、タイ国パンガ湾の小さく貧しい水上漁村の風景である。スズキ(海産魚でバンコクのお寿司屋さんの材料として有名)の養殖指導で何度も訪れた所だが、断崖と漁村のコントラストが素晴しく、今でも脳裏に強烈に焼き付いている。  もう1枚は世界で一番夜明けが早いと言われている国、キリバス共和国の風景。綺麗なホワイトサンドの砂浜と、青く透き通った海が印象的だ。平均海抜2メートルと言う低い環礁が多いために、近年の海面上昇で、2050年には首都タラワの8割が水没の危機にあるとされている。このスケッチの場所も近々水没の運命にあるかと思うと寂しい限りである。

閲覧数:86回0件のコメント

最新記事

すべて表示

投稿

bottom of page