寄稿 「金婚の日」[三]
- 東京黒百合会
- 4月2日
- 読了時間: 4分
長谷部 司
「ママには花束を、パパには胸に飾るブーケを頼んだわ。記念写真の撮影に間に合うように」両親より一足先に東京駅で待ち合わせた姉の容子が、顔を合わせるなり啓吾に言った。
前日電話で花を贈ろうと言い出したのは啓吾だったが、金を払うのは姉の容子だった。借金に追われている啓吾にとっては今日の新幹線の往復の切符代だけでも頭の痛い出費なのだ。
それよりも気になったのは、姉の疲れのひどさだった。顔のむくみもさることながら、身体全体がいかにも重くだるそうだった。
「今日一日時間を空けるのに授業のやり繰りがたいへんだったのよ」
そうかもしれないが、こちらだって仕事をやり繰りしてわざわざ日帰りで京都から出て来たのだと言いたかったが、口には出さなかった。
だいたい最近の姉の容子とは物事に対する考え方が違うことが多い。
二十代後半から自立して、独力で大学に入り直し、現在は母校の准教授に迄登りつめた姉の意志の強さと努力には脱帽するばかりだが、その結果、対社会的な成果を求めるに急で、すっかり仕事優先の極度に忙しい毎日を送らざるを得ない状況になっている。
折に触れて父が「忙しいの [忙] の字は心を亡くすという意味から来ているのだよ」
と繰り返しても、姉が心に留める気配はまったく無い。分っていても出来ないというのが実情かもしれないが。
だいたい両親の金婚記念日より一日の大学の授業の方が気にかかるという価値観の異常さに気付かないことの方が悲しむべきだと啓吾は思うのだが。
「金婚の日」[四]
時間に正確な父と母は既に東京駅構内の待ち合わせ場所で待っていた。
退職後父の背広姿を見ることは殆どなかったのだが、今日は、昔仕立てたパステル調のモスグリーンの背広の上下。チョコレート色のイタリア製の革靴。髪もこざっぱりと整え。
母の方も紺色のスーツの胸には白いリボンの胸飾り、頭にも黒レースの髪飾りを載せて、二人ともとても金婚式を迎えた年齢には見えなかった。
最近父は母といる時、いつもなにか屈託ありげな表情をしているのだが、今日に限って、珍しくきっぱりと吹っ切れた顔つきで微笑もうとしており、母も父に対する恒常的な不満を押さえて平静を装っているようだった。
一方姉の容子は睡眠不足と疲労を面に出さないよう努力するのに精一杯の様子だ。
借金の問題を別にすれば、家族関係では比較的気楽な立場にある自分だけでもせめて今日の集まりを盛り上げねばと、啓吾は改めて自分に言い聞かせた。
「みんな揃ったね、さあ、出発だ」
そう言って父はタクシー乗り場に向かった。行き先は神田一つ橋の学士会館だった。
褐色の飾り煉瓦の外壁と白花崗岩の下回りからなる六階建ての重厚な建物は、周りの新しい高層ビルの間でいかにも時代離れした雰囲気を漂わせて建っていた。
漆喰の白天井と褐色の木材で統一された内部。草枯れてはいるが床に敷かれた赤絨毯。すべてが古さのなかに現代の東京には失われてしまった落ち着きを感じさせている。
「この建物は五十年前と全く変わっていないわね」
一休みするために入った喫茶室の席で、母はあたりを見回しながら感嘆の声をあげた。流石に懐かしさに声は弾み、頬もほころんでいた。
父が満足気に付け加える。
「反体制派で正統な大学生活を送らなかったパパは、学士会館などという保守的な場所で結婚式を挙げることなど気が進まなかったのだけれど、費用が安くて済むから仕方がなかったのだよ。でもいまとなれば、商業施設でなかったから、こうして昔のままに残っているのだろうがね。いま思えば、ここの披露宴で食べたフルコースの西洋料理がパパにとって生まれて初めてのフルコースの西洋料理だった。フルコースといっても皿数ばかりで中身は粗末なものだったけれどね。本当にまだすべてが貧しく質素な時代だった」
父がフルコースという言葉を三回も繰り返すのを聞いて、啓吾は当時の父の貧しい生活環境を知った。
「結婚式の段取りも、料理の内容も、みんなママが乏しい予算のなかで取り決め、支払いもパパの手で済ましてから旅行にでかけるような始末だったのだから」母は口数が少なくなっていた。
姉や啓吾にとっても、自分達が生まれる前の、しかも現在の自分達よりも遥かに若かった二十代の両親の気持ちや結婚式のことなど想像するのも難しかった。
その上自分達二人ともまだ結婚したことのない身としては比較することすらできない。ただ黙って聞くしかないではないか。
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