高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの (4/15~6/11 平塚市美術館) 久しぶりにギャラリ―トークを聞く機会を得た。展示会場の入口正面で二本の「鮭」を前に、平塚美術館館長代理・土方明司氏が解説してくれた。左は高橋由一の「鮭」だが、右は磯江毅(1954-2007)の「鮭」(部分)である。
右:磯江作「鮭・高橋由一へのオマージュ」2003
磯江は会場の出口近く、昭和・現代コーナーに再び登場するが、この「鮭」は磯江が板に描き、板にも木目を描き、更には鮭を縛る縄紐が板からはみ出している部分も描いている。 由一の「真に迫り妙に至る」真摯な写生態度を尊敬しながらも、磯江は30年余りのスペインでの研究から「日本の写生」「日本の写実表現」を追求した画家だった。スペインでも高く評価された。 下図の磯江毅作「深い眠り」の裸婦の背景は、何もない「真っ暗闇」である。これこそ日本画で言う「マ・間」、「空間の表現」なのかもしれない。
(1994-95作・鉛筆、水彩、アクリル、墨、紙) 土方氏の解説によれば―― [鮭の絵で有名な日本洋画の先駆者、高橋由一。彼は江戸時代より徐々に将来された西洋画の迫真の写実表現に感動し、洋画家を目指した。 以来、実に多くの画家たちがこの西洋由来の写実技法を学び、様々な作品が生まれる。
その一方で、はやくも明治中期には黒田清輝が外光派の作品を発表し、その親しみやすさから写実絵画は穏健な抒情性を重んじることとなりこれが日本の官展アカデミズムの主流となる。 以後、近代以降の日本美術史は、外光派風写実と、それに反発する印象派以後の美術(モダニズム)の流れで語られている。
由一が衝撃を受けたリアリズム、迫真の写実は、大正期の岸田劉生などの諸作に引き継がれるものの、美術史の表舞台からは後退した感が拭えない。劉生以外にも写実の迫真性に取り組んだ画家たちも少なからずいたが、その多くは異端の画家として評価され、現在に至っている。 近年、細密描写による写実が注目を集めている。本展は移入されてから150年を経た写実表現がどのように変化し、また変化しなかったのか、(写実)を作品により検証したい・・] 解説を聞きながら明治黎明期、同中期以降、昭和の戦前戦後、現代作家等51名を巡った。
〇高橋由一(1828-1894)は日本で最初の洋画家と言われる。1865年、横浜のワーグマンから油彩画を学び,更に1876年、工部美術学校教師のフォンタネージから個人指導を受け、空気遠近法を知り、新たな風景表現を始める。迫真描写で対象に迫る「鮭」もこの頃(明治10年ころ)の作品である。 〇岸田劉生(1891-1929)は、38年の生涯において変わらなかったことは彼が反印象主義者であったことである。印象派流の視覚映像の再現がそのまま美術になるとは思えなかったのだ。 彼が求めた美術とは全身全霊をもって存在を見つめ、その奥にある深い生命感、神秘性を表現することだった。(「日本の名画」中央公論刊から)●本展を見た翌5/14日、NHKの日曜美術館も「見つめる眼、震える心」と題し、同展を特集 していたので、土方氏の解説を思い出しつつ 自分が感心した作品などについて以下に書き留めてみた。 ※NHK日曜美術館の場合も土方氏が案内役を担当、ゲストは水野暁氏であった。 大正時代、<麗子像の画家岸田劉生>についていえば、自分の娘麗子を描いた最初の作品が「麗子五歳の像」
次がその5年後の麗子「野童女」である。
これは、形の中にある内なる美を追求した結果と言われる。作品の横に劉生の言葉として「唯心的な域を生かし、写実的な追及は犠牲にしなくてはならない」とあった。麗子の笑顔(妖しさ、神秘性、怖さ)は、麗子の心を顕したと思われる。 戦後昭和後期画家のひとり「猫」を描いた長谷川潾次郎(1904-88)は、その制作態度は極めて独特で、実物を目の前にしなければ描かなかった。彼は心地よさげに丸くなって眠る愛猫をずっと見続け、余計なものは一切描かず、その寝姿だけに絞って描いたのだが、愛猫は髭をつけぬまま、6年後に死んでしまった。
「現実は精巧にできた夢である」(長谷川)
現代:磯江毅(1954-2007)はNHK・TVの中で、「画面の中に自分が見ているものと同じだけのものを再現することが僕は写実だと思う」。一方で「写実を極めることはイコール写実ではなくなること」とも言っている。 現代リアリズム絵画の画家・水野暁(注)が、スペインに滞在していた磯江を訪ねた時、「物の形をすぐ決めるな、ものの存在を感じなさい」と水野に言ったという。(NHK・TV) (注)水野暁(1974生)多摩美大卒、2014年文化庁新進芸術家海外研修制度によりマドリードに1年滞在。上毛芸術文化賞等受賞。
水野暁「梅林」の制作現場
NHK/TVは、ゲストの水野が自宅アトリエ近くの梅林を、何年もかけて描く姿を撮影したもの。徹底した現場主義である。 水野が3年かけて描き上げた大作、「TheVolcano-大地と距離について/浅間山-」。 作品(145.5×227.3cm)は、土方氏も「五感を感じる、圧倒される」と感嘆していた。
水野暁「The Volcano 浅間山」
「リアル(写実)」とは何か。そう問われても 私には「本物らしく」としか解答できない。 美術館が集めた「現代作家のことば」(目録)の中で、水野暁は次のように語っていた。 ―「私にとってリアルとは、実感を伴った行為のもとに生み出される表現である。・・一過性のものではなく時間に耐えうる表現を目指し、絵画というメディアを通して、心揺さぶるような表現ができたらと切に願う。視覚のみならず様々な感覚で感じ取ったものを描くという行為を通じて画面に定着させていくこと」―― 。