top of page
立脇 勉、清水全生

春の一泊写生会報告

1. 今回は5月22日23日筑波山麓を描いた。参加者は石川、首藤、奥野、牧野、小石、清水各氏と建脇のわずか7名であった。当初予定日とホテルの予約とがマッチせず繰り上げたためで、幹事の事前調査不良が原因である。だが、ホテルのバスが充分サービスしてくれ、スケッチポイントへの移動など大変助かった。  二日間とも好天で、ドンと全面に二峰の筑波山が現れ、近景には植えたばかりの田んぼや家々が素晴らしい調和をなし“絵”となった。また川沿いからの山を構図とするなど良い場所を探して描いた。今回はとにかく好天に救われた写生会であった。 建脇 勉 2.写生会では2日間、筑波山を見上げ続けてその魅力を再認識した。関東に永く住みながらも、筑波山は印象が薄く今回が初めての経験だった。温泉、四季の花、山頂からの夜景、各種祭り等楽しみが沢山あることが分かり、今度、改めて遊びに行こうと思った。  さて、いざ絵を描く気持ちで筑波山を見ると二山ある稜線の美しさに改めて感動し、それが描けたら最高と心ときめく思いだった。   江戸時代から筑波山神社を中心とする信仰の山として栄えたことが窺え、神社への「つくば道」は地図では分からない道幅の狭さ、坂の急なところで、歩き、車も大変なことと実感した。 山を見上げるスケッチポイントは限られていたが、緑の水田及び旧い民家を前景に恰好な場所だった。宿泊先は老舗の筑波温泉ホテルで山の中腹に有り、眼下の景色も最高で、露天温泉をゆったりと楽しんだ。場所、天候に恵まれた良い写生会だった。次回の写生会には、大勢の参加を期待している。

清水全生

編集注: ① 筑波山は茨城県つくば市北端にある標高 877mの山。西側の男体山(871m)東側の女体山(877m)からなる。女体山の方が大きい。「筑波」の由来は、なんでも、縄文時代の筑波山周辺には波が打ち寄せていたと考えられ、「波が寄せる場」即ち「着く波」(つくば)となったとか。昔から「西の富士、東の筑波」と愛称され、朝夕の山肌の色を変えるところから「紫峰」とも呼ばれるそうだ。 ② 「つくば道」は筑波山への参詣道、筑波山神 社迄続く約一里の道である。三代将軍家光は1626年、堂社を一新する工事に取り掛かり、この時、資材運搬路として整備された。とはいうものの結構今でも急坂で、文字通り「つづら折り」の道だった。一行はこの道をホテルのマイクロバスで通った。昭和61年には「日本の道百選」に選ばれている。 ③ 「ガマの油売り口上」碑をバスの窓から見た。「さァさァお立合い・、蝦蟇を鏡の前に置くと たらあーりたらぁーりと油を流し・・」というあの口上の一節だ。由来は大阪の陣に徳川方として従軍した中禅寺(筑波山神社)の住職の陣中薬の効果が評判になったからという。

閲覧数:11回0件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page