(2017/4/18―7/2 主催:東京都美術館・朝日新聞社)(ボイマンス美術館) ―16世紀ネーデルランドの至宝―ボスを超え
Ⅰ.ボスと言えば「快楽の園」を思い出す。それは三連祭壇画で、左側はエデンの園、中央は無数の裸の男女が快楽にふける様、右側は「地獄」を描いている。そこでは胴体が卵の殻とか、その他奇怪なイメージで満たされている。これは聖書に基づく寓話を絵にしたものらしいが、詳しいことはわからない。ただ、ボスの描く不思議な情景、その作風はピーテル・ブリューゲルをはじめとする後世の画家に多大な影響を与えたので、本展の副題になったのだろう。
ボス;「快楽の園・(地獄)」1505-10年頃
展覧会場入口は、16世紀ネーデルランド(現オランダ)の彫刻がならび、さらに板に描いた油彩画、エッチング、エングレーヴィング(銅版画の一種)など、小品ながらその時代の人々の生活、肖像などが精密に描かれ、その中ほどに「奇想の画家・ボス」の絵があった。 更に「ボスのように描く」(模倣)画家、あるいは作者不詳の作品が続いたあと、初めてブリュ―ゲルの版画のコーナーに入り、やっと2階の本命「バベルの塔」にたどりつくという展示構成だった。
(ボスの模倣)「ムール貝」1562年
ブリューゲル・「大魚は小魚を食う」1557年
ヒエロニムス・ボス(1450-1516)は初期ネーデルランド絵画史において、もっとも特異な存在感を示す画家と言われる。現在までに様々な研究や解釈が進んでいるけれど、その生涯は不明という。とくに本展で目を引いたのは、「放浪者(行商人)」・1500年頃 である。
解説によると、―放浪者、初老の男が売春宿と思しき建物のそばを通り抜け、牧場に通じる柵へと進み出ようとする。しかし、男の顔は今すぐ通り過ぎてきた建物を未練がましく振り返っている。牧場へ進むべきか、引き返そうかと悩んでいる―。ボスはこの絵をルカ伝15章の「放蕩息子」に基づいて描いたとされるが、その中で主人公の放蕩息子は、放蕩の限りを尽くし、自分の家に戻り、父親から暖かく迎えられることになっている。しかし、ボスはこの絵で、父親との再会より放蕩生活への未練、人間の欲望・・を前面に押し出しているように見える。それまで一般的だった宗教画とは異なる画題を選び16世紀のネーデルランド画壇に一大旋風をまきおこしたと言われる。
Ⅱ.ピーテル・ブリューゲル(1525?-1569)の代表作と言えば「雪中の狩人」。獲物なく徒労に終わった狩人の失意と眼下に見える凍てついた池で遊ぶ人々との対比。「カーリング」という氷上の遊びを知ったのは、この絵を見た時だった。
ブリューゲル:「雪中の狩人」1565作
実は彼の生年や生涯については不明点が多い。分っているのは1551年に現在のベルギー北部にあった聖ルカ組合に自由親方として登録されたこと。聖ルカ組合とは、画家などが寄り集まる組織で、ここで入会を許されれば、一人前の画家として認められたということだ。前頁の版画(大魚は小魚を食う)はボス風の絵を希望したパトロンの注文に応じて制作されたものという。制作初期は庶民の「遊び」や「ことわざ」を取り上げ、「バベルの塔」を描いたのは中期(1561-64)とされる。「かって世界中の人々は同じ言葉を使って同じように話していた。シンアルという地に住み着いた人々は、レンガとタールで天まで届く塔を建て、街を有名にしようと試みる。しかしその野心は神の怒りに触れる。人々が一つの言葉を話しているためにそのような企てが可能になったと考えた神は、人々の言葉を混乱させ、互いの言葉を理解できないようにしてしまう。意思の疎通ができなくなった人々は散り散りになり、ついに塔は完成しなかった」(旧約聖書「バベルの塔」朝日新聞から)人間の“おごり”に対する“戒め”とは思うが、せっかく世界の言葉を一つにして月世界旅行まで考えているのに、わざわざ互いの言葉を混乱させ、世界を分断、平和を乱し、希望を捨てさせる! それって、神様!あんまりではないですか。それはともかく、彼はこれとは別に「塔」を描いている(図A:114×155cmウイーン美術史美術館蔵)。 今回展(図B)は①の約半分。違う点はBの方が建設工事がAより進んでいることにあるらしい。それは上方の雲の位置にあるようだ。もう一つ、バベルの塔は遠目に見る時と間近によって見るのとでずいぶん違うことだ。会場では東京芸大が協力して3DCGの大画面を上映していた。そこには、建設に携わる労働者が蟻のように散らばり、レンガを引き上げる機械がきっちり描かれている(図C)。 晩年は「農民ブリューゲル」と称されたように農民の生活を多く題材にとっていることから推量すると、バベルの塔は、元は農民即ち人間の逞しい生命力、蟻のように働く人間を主題にしたのではないかと思う。私には、稀有壮大な「アリ塚」のように見えるのだ。
A バベルの塔1563年・ウイーン在
B バベルの塔1563年・オランダ在
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