今年〈2017年〉5月に憧れの中国洛陽の龍門石窟を見てきた。 西安北駅から新幹線を利用して1時間45分程で洛陽龍門駅に到着する。天気は良好だったが大変暑かった。 石窟は黄河の支流である伊水の両岸に長さ1km程にわたって展開している。 北魏の孝文帝は北方の大同にあった都を中原の洛陽に移し(493年)、仏教の中心地とすべく龍門石窟の造営を始めた。以降、唐代までの250年間余に及んで多数の仏(ぶつ)龕(がん)が穿たれ、現在大小2,300以上が確認されているという。 龍門入口から入ってすぐに賓陽(ひんよう)三洞があり(北洞、中洞、南洞:500~523年)、賓陽中洞には釈迦牟尼仏が鎮座している。洞内は晴天との対比で薄暗く見えにくかったが、造仏当時、壁面や天井は極彩色だったようでまだ赤い顔料が残っていた。入口を守る力士像は素朴な力強さがあり魅力的だ。 洞の一部仏像は盗掘団により持ち出され(1930年代)、南壁の脇侍菩薩頭部は日本の東京国立博物館に収蔵されている。端正な顔立ちの菩薩頭部像を東洋館で拝顔した記憶がある。 北魏滅亡後も石窟の造営は細々とながらも継続されていたが、唐代になって最盛期を迎える。龍門石窟最大の奉先寺洞は唐代675年に完成されたという。唐の第三代皇帝高宗の発願で則天武后も喜捨したとされる。本尊の大盧舎那仏を中心に弟子、菩薩、天王、力士像が並ぶ。盧舎那仏はお顔がふっくらとし艶やかで、高さは17m程あるという。入口右側壁の二像は無残に破壊されていたが、左側壁の天王像、力士像は健在で眼光鋭く本尊を守護している。 本尊大仏は遣唐使達を通じて奈良東大寺の大仏にも影響を与えたことだろう。奈良の大仏開眼は奉先寺完成後77年後のことであるが、何度か建替えられた現在の東大寺大仏のお顔はより男性的である。 龍門石窟には、皇帝等の勅願による大きな仏像のほかに中・下級官僚や庶民の人々発願のものも多数あることが造像記に記録されているという。 あちこちの像が破壊されたり、顔が切り取られたりしていて、当時の工人達が見たら涙を流しそうな光景もあったが、バーミアン遺跡の惨状からすると、これだけ残っているのは奇跡的なのかも知れない。 固い岩に幾つもの穴を穿ち造仏する行為は大変な研鑽と肉体の酷使によるものだろうが、後世の見学者にとっては、岩山に沢山の石窟が密集して点在する様はとっても魅惑的であった。 興味深い旅だったが、今回の見聞をモチーフとして油作品に挑戦するには熟成する時間が少々必要のようだ。