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石川三千雄

「古河講堂」のルーツを見た

「古河講堂」のルーツを日光市足尾町で見た

2017年4月14,15日と元勤務先のOB会が鬼怒川温泉であり、その帰途足尾銅山の迎賓館「古河掛水倶楽部」を偶然にも訪問する機会を得た。足尾銅山は明治10年廃山同様になっていた鉱山を、初代古河市兵衛が経営するようになり、能力ある養子を迎え、最先端の技術を取り入れるため、二代目、三代目にはUSへ留学させたという歴史を知った。三代目古河虎之助が今から約110年前にこの洋風の迎賓館を建てたという。この建物を見た瞬間、昭和32年4月入学当初から慣れ親しんだ「古河記念講堂」(明治42年築)を思い出した。 きっと通称「古河講堂のルーツはこれだと。 「古河講堂は佐藤昌介(北海道帝国大学初代総長/札幌農学校1期生)と同卿の古河鉱業の顧問でもあった内務大臣原 敬が東北・九州帝国大学創設のため「社会貢献を進言し、古河財閥は約100万円を寄附したという。そのうちの135千円が東北帝大農科大学林学教室(現北大)に寄付され、古河講堂が建設されたという。古河家寄附事業の内、現存するのはこの1棟だけである。他は取り壊された(リテラポプリ33号より)。  この「古河掛水倶楽部」は「わたらせ鉄道足尾駅から徒歩3分にある。明治34年足尾銅山では3000人もの人が働き、東洋一の生産量を誇っていたという。これらを知る資料やら、当時の生活の様子がわかり、我々の祖先もその一人だったのかと、思いを馳せた。

古河掛水倶楽部 正面

平成29年4月15日「古河掛水倶楽部」前

 第44回東京黒百合展「夏の古河講堂」油彩 F20

第46回展「2月の古河講堂」油彩 F20

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