“抒情と美のひみつ” 2017/9/16~11/12 損保ジャパン日本興亜美術館 二科会を中心に活動した東郷青児(1897-1978)の生誕120年・特別回顧展が開催された。
Ⅰ.内的生の燃焼 1915-1928年(昭3) 1914年竹久夢二の港屋絵草紙店に出入りし下絵描きなどを手伝い、翌1915年山田耕作の東京フィルハーモニー練習場で間借りしての制作。この頃,有島生馬を知り、以後師事。 1916(19歳)「パラソルさせる女」二科賞受賞。1921年から7年間滞在したフランスではピ カソと交流しつつ美術館で西洋絵画の研究、幾何学的な構成と抒情性を統合した画風を作る。
作品「サルタンバンク」は、自信作なのでピカソを自分の画室に招き見てもらった。
Ⅱ.恋とモダニズム 1928-1938前半(昭11) 帰国した東郷は、震災から復興した東京を彩るモダニズム文化に受け入れられた。シンプルで洒落た装丁、室内装飾、舞台装置等デザインする。二科展に発表した幻想的な油彩画は、古賀春江らの作品とともに、「新傾向」として話題になった。一方、私生活も愛人とガス自殺(未遂)を図ったり宇野千代と同棲する等大忙しだ。
1929 「超現実派の散歩」新作風を模索する。
Ⅲ.泰西名画と美人画1930代後半-1944年(昭19) 1935年前後、個展にも積極的に取り組み、藤田嗣治と百貨店の装飾画に挑戦する。 1936/左・藤田「海の幸」/右・東郷「山の幸」 泰西名画調のモチーフをレパートリーに加え、 近代的な女性美を生み出していった。
Ⅳ.復興の華 1945-1950年(昭25)代 終戦直後から東郷は仲間に呼びかけ、1946年(昭21)二科展を再開させる。1952年に日本が主権を回復した後、再び哀愁などの抒情表現が復活、美と抒情を統合した女性表現は人気を博した。1960年日本芸術院会員。翌61年二科会会長に就任。69年にはフランス政府より芸術文化勲章を授与される。ここに華やかで優美な「東郷様式」が確立された。1955・「四重奏」1978(昭53)歿・80歳。歿後に文化功労者。
東郷様式とは何だろう。 東郷のスタイル・特徴を美術論家の植村鷹千代(1911-1998)は次のようにまとめた。 〇誰にでもわかる大衆性 〇モダンでロマンチックで優美、華麗な感覚と詩情 〇油絵の表現技術に見られる職人的な完璧さと装飾性