嶋田勝弘さんを偲んで
- 大谷敏久 他
- 2018年2月2日
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● 嶋田さんとは1990年東京黒百合会30回展頃からほぼ同時入会30年のライヴァルです。その頃、ご案内を頂いた最初の作品展を思い出しています。 通産省OBの嶋田さんは経団連の絵画会で研鑽を積まれていました。会場の豪華な応接室は裸婦の大作で埋め尽くされていました。人物裸婦の研修会です。家では静物、風景も描いていますョと優しく苦笑されていました。秘書のお茶を頂きながらの参観は見応えがありました。その後幾度も訪れたものです。 東京黒百合展、北斗展、通産省OB展に観る嶋田さんの制作姿勢は趣味の登山から海へとモチーフ豊かに続くのですが、写実に忠実、色彩豊かで爽やか、力強く、心を打つ素晴らしい作品の数々は、ここから産まれ育ったと思います。 病に襲われてからも病に負けずに描く情熱と愛情には心からの敬意を捧げます。今は心静かに思う存分に筆を執っておられるに違いありません。遠からずお会いしましょう、作品を持参します。
合掌 大谷敏久
● ヨハネ・パウロ嶋田勝弘さんの葬儀ミサ・告別式が、1月10日、カトリック三軒茶屋教会で行われた。壇上に嶋田さんが帽子を被り絵筆を手に描いている写真と、その時に描かれた油絵(砧公園の桜の巨樹)が飾られていた。 北斗展の前幹事・嶋田さんがまとめたもので案内状、目録、会計報告、領収書、作品講評など、もれなく几帳面に貼り付けてある。 初期の作品には、「トレドの思い出」「沢渡温泉郷」「崎津教会」などがあり、様々な 場所へ積極的に描きに行かれていたことがうかがえる。終了報告の中には、「カンパリソーダで乾杯」と楽しげな反省会の様子なども記されている。 私が北斗展に参加するようになったのは、 第21回展(2011)からで、その頃、すでに 嶋田さんは病気を抱えながらも、また数点出展されて、奥様とご一緒に会場に見え、談笑されていた。 昨年(2017) 東京黒百合展の前に奥様から電話があり、健康上新しい作品を出すことは難しい状況」とのお話だった。
多くの作品をお持ちなので、未発表の作品の中から出展しては」という提案をさせていただいた。 それが東尋坊油彩F10で、嶋田さんの最後の出品になってしまった。 嶋田さんには約7年間、絵を描くことをこよなく愛し、楽しむ姿を見せていただいた。 1月7日早朝、家族の皆様に見守られて 86歳の生涯を終え、神のもとへ旅立たれた。 心よりご冥福をお祈りいたします。 長谷川 脩

嶋田勝弘;「東尋坊」油彩F10 第55回展
● 北斗展の幹事の先任者としても大変親しくご指導して頂きました。再三大病に見舞われながらも、奥様の厚い看護の下頑張ってこられました。 心からご冥福をお祈りします 谷 岑夫
● 一泊写生会で、山がご趣味とかで、いかにも登山の というおつまみを持参され 十徳ナイフで切ってくださったり、また遠くの山の名前を教えてくださったことなど思い出します。 ご冥福をお祈りいたします。
江澤昌江
● 最近お目にかかれなくて、心配していました。素敵な風景画が目に浮かんできます。 心よりご冥福をお祈り申し上げます。 田中信子
● 奥様から体調不良のお話を伺っておりましたが、まさかこのようなことになるとは想像しませんでした。 北斗展でお世話になったことを感謝いたしつつ、今はひたすらご冥福をお祈りいたします。 森 典生 ● 小生は入会して数回お会いする程度でしたが、嶋田さんは優しいお方で聖路加病院や上高地 の風景画を思い出します。 残念なことですが 心からご冥福をお祈り申 し上げます。
清水全生

嶋田勝弘;「城ヶ島大橋」
● 平成4年デビユー以来、25年間の作品には、奥様や友人と一緒に、自然を愛し旅を楽しむ心が画布に溢れていた。50歳前は絵筆を持ったことがなかったそうだが、後年『私のモチーフは“旅で描く風景画”だよ』と、“絵と旅”の人生を過ごして来たことを楽しそうに語っておられた。 穏やかで他人に優しく時には陽気に、周囲の人々を和ませてくれた。それは、奥様が日常生活だけでなく、絵画の友として陰に陽に力となって下さったから、嶋田さんは“絵”に集中できたと思う。「フロンテイァ」の前身「エルム新聞」の「風景との対話」欄に嶋田さんのスケッチがあったので、御霊の前に供えます。奥様とご一緒だった頃を思いながら、時々は私たちに旅で描いた絵の話、山の話をお聞かせください。 ご冥福をお祈りいたします。 小石浩治
☆
「蓼科山と白樺湖」 嶋田勝弘 毎年ゴールデン週間と夏休みには、家内と道具を乗せて車で絵を描きに行くことにしている。 絵に描く景色は二の次というわけにはまいらないが、交通渋滞だけは避けたく、高速道路は近間で下りて間道を伝う。目的地の人込みはやむを得ないが、雨天も困るし暑いのも嫌だと御託を並べてみても、抵抗手段は此方が移動するだけ。 かくて場所を離し宿を替えての予約が肝腎となる。この伝で昨夏は乗鞍、上高地、白樺湖を廻り夫々、絵を仕上げたが、お見せできるようなスケッチはこれだけであった。

蓼科山は羊蹄山を思わせ、やはり、諏訪富士と呼ばれるようで、椀に盛った飯を思わせる特徴の ある円錐形である。絵に描くのもそうだが、山容の単純さから、積極的に上る人は少ないという。 ところが、麓から優雅に見えるこの独立峰も、森林限界が低く、頂上の荒涼たる岩原から見渡す眺望もさることながら、実はその規模の大きさ、雄大さで人を驚かせる。 因みに頂部の傾斜は32度、峨峨たるアルプスと比肩されるという。 実際のところ、小生の腕でこの山の雄大さを出すのは無理のようだ。 ―「東京エルム新聞」(「風景との対話」) 1996・4/10 no424 から

嶋田勝弘:「ニコライ堂」




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