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- 東京黒百合会

- 4月5日
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歌麿「雪月花」三部作と日本の文化財の海外流出
長谷川 脩
昨年(2025年)11月、岡田美術館(神奈川県箱根町・2013年開館)に収蔵の江戸期の浮世絵師・喜多川歌麿(?~1806)の肉筆画「深川の雪」が香港で開催のオークションにかけられ約5500万香港ドル(約11億円、手数料込み)で落札された、と新聞に載った。歌麿作品の落札額の最高額だという。同館の資金繰りが悪化し売却となったらしい。
「深川の雪」は歌麿が栃木の豪商善野伊兵衛の依頼で描いた作品で、その他に「品川の月」「吉原の花」と合わせて「雪月花」三部作と言われている。「深川の雪」が同館の所有になった時(2014年)、米国にある他の作品と共に三部作揃った展覧会が計画された。だが、外部貸出禁止の「品川の月」だけは原寸大の高精細複製画が用意され、併せて3作品が揃うことになった。その滅多にない機会に箱根まで観に行った。それぞれ大きさが異なる3作品が壁一面に飾られ、その迫力には圧倒された。

「深川の雪」198.9×341.1cm、制作1802~06年頃
江戸深川の料理茶屋の2階座敷で辰巳芸者や支度する女性、幼児一人を含む27名が描かれている。
浮世絵史上最大の大きさで、依頼を受け栃木で描かれたと伝えられている。

「品川の月」147.0×319.0cm、制作1788年頃
アメリカ人実業家で琳派、北斎の肉筆浮世絵等2000点におよぶ日本美術を蒐集したチャールズ・ラング・フリーアが設立したフリーア美術館にある。
彼が初めて日本を訪れたのは1895年で、車夫や通訳を雇い英語版の旅行案内書を片手に、個人旅行を約4ヶ月間も行ったそうだ。

「吉原の花」187.0×257.0cm、制作1791~92年頃
「深川の雪」と「吉原の花」は日本の美術・芸術を欧米諸国に広く紹介したドイツ人サミュエル・ジークフリート・ビングによって購入され、ジャポニズムブーム隆盛だったパリに渡った。
その後、「深川の雪」だけが1939年に日本に帰国したが、長年の行方不明を経て2012年に再発見され岡田美術館の収蔵となった。
一方「品川の月」と「吉原の花」は米国に渡り、「品川の月」はコネティカット州ハートフォードにあるワズワース・アセニウム美術館に収蔵された。
記録に残る限りでは、この三部作が揃って展示されたのは1879年(明治12年)の1回のみ栃木の成願寺で展示された記録が残されている。
今回の企画展では、「吉原の花」をアメリカから迎え、岡田美術館が収蔵する「深川の雪」と共に展示された。日本でこの2作品が同時に展示されるのは、実に138年ぶりとのことだった。「品川の月」だけは所蔵するフリーア美術館の門外不出の規則により出展がならず、代わりに原寸大の高精細複製画を制作して展示。それでも三部作を同時に見ることができる貴重な機会となった。
箱根までは自宅のある町田から約2時間。美術館を目の前にして豪華な造りには驚かされた。
やや薄暗い会場に入って三部作を観た時の印象は圧巻だった。緻密な描写と華やかな色彩で描かれた人物群が艶やかに迫り、息を呑むほどだった。良い展覧会を考えてくれたと思った。都心の美術館で経験するような人とぶつかり合いながらではなく、ゆったりと心ゆくまで鑑賞することが出来た。
しかし今回の報道で、岡田美術館がいくら資金繰りに行き詰まったとはいえ、このように優れた作品がいとも簡単に海外に出てしまうのはしかたのないことなのか、と疑問に思った。
調べてみると、現在の日本の文化財保護制度では、「重要文化財」や「国宝」に指定されたものだけは輸出禁止・許可制が徹底されてはいるのだが、それ以外の美術品は、所有者の判断で国外に流出してしまう余地があるらしい。「公的基金や制度の強化は文化財を守るために不可欠ではないのか」そう考えて他国の事情を調べてみた。
日本はユネスコの「文化財不法輸出入禁止条約」に加盟しており不法な流出入は防止対象だが、合法的な売却・輸出は規制できないのが現状のようだ。「文化財保護法」では国宝・重要文化財は原則輸出禁止になっているが、重要美術品や未指定作品は規制の対象外である。戦後に「重要美術品制度」が設けられたが、それに認められる作品は限られており、近年はほとんどないため実効性が極めて弱い状況になっている。国や自治体がオークションで競り合うためには恒常的な基金が必要である。しかし現状は基金がないに等しく、臨時的な寄付やクラウドファンディングに頼るケースが多いらしい。公的基金はほとんど無いと言ってよい状態で、それが弱点となっている。
これに対して、フランスやイギリスの状況を見てみると、文化財の国外流出を防ぐために、国家が「買い戻し権」や「変換制度」を利用している。そのいくつかの事例を挙げてみる。
* フランスの事例
「ペナン・セネガルへの返還2020年」
フランス国会は、法律を制定し植民地時代に持ち出されたペナン国やセネガル国の文化財を変換した。これによりペナン国には王国時代の宝物26点、セネガル国には剣などが返還された。
「クリムト《樹下の薔薇》の返還2022年」
ナチスの支配下で作品が不当に持ち出された事情があった。経緯を知らずに後年買い取ったオルセー美術館は元の所有者(ユダヤ人)の遺族に返還した。
「マオリの頭蓋骨返還2022年」
フランスがニュージーランドに対し、自国の博物館が収蔵していたマオリ族の頭蓋骨等の遺骨を返還するため、特別法をコレクションの管理に関する法律を制定した。
* イギリスの事例
「ウェイバリー基準」に基づく輸出規制
英国の「Reviewing Committee on the Export of Works of Art(RCEWA)」は、作品が「国民生活と密接に関係」しており「美的に重要」な作品は、そして「学術的に顕著な重要性」を持つ場合には輸出許可を一時停止出来る。
ターナー作品の保護
J.M.W ターナーの重要作品が国外流出の危機にあった際、RCEWAは輸出許可を保留。国内美術館が資金を集めて購入しイギリス国内に留めた。
ロセッティやゲインズバラ作品の事例
英国美術史に不可欠な画家の作品が輸出申請された際に、国内機関が資金を調達して買い戻しに成功した。
このような事例から、フランスでは「個別法」を制定して返還を実現するケースが多く、国家が積極的に介入している。イギリスでは「輸出審査委員会」が輸出を一時停止し、国内購入のための猶予期間を設ける仕組みの制度が出来ている。
いずれも国家が文化財を守るために法的・財政的な枠組みを整備している点が、日本との大きな違いとなっている。日本でも重要美術品や未指定作品に対して同様の制度を導入することにより、歌麿や北斎のような作品の流出を防げる可能性が十分にある。
今回、岡田美術館が競売に出した作品は、歌麿のものだけではなく北斎の初期摺り「富嶽三十六景・神奈川沖浪裏」が約2172万香港ドル(約4億3600万、手数料込み)で落札された。その他に125点が出品されたとのこと。これらの事例を見ると、日本でも重要美術品や未指定作品に対して規制を強化し、優れた作品の流出を防げると充分に推察できる。
今回のケースでは、重要文化財が数多くあるにも拘わらず現行制度では守り切れないという現実が浮き彫りになった。日本でも早急に輸出審査制度が実施されることを願わずにはいられない。
しかし課題もある。日本の美術市場は、民間主導で所有者の財産権が強く尊重される傾向がある。輸出規制を強めると、売りたいのに売れない、海外の方が高く売れるのに阻害されるといった不満や、国が買い取るためには財源不足の問題がある。また、審査基準の策定等の制度構築には時間とコストがかかる。現行制度では、指定文化財は厳格に保護されるが、未指定作品には何も規制がない。また、規制が強すぎると逆に市場が縮小する可能性もあり難しいが、“解決を早急に図る必要がある問題である”と痛切に感じた。
《追記》
その後、今回の落札に関わった人物は日本国内の個人のコレクターである可能性が高い、との報があった。業界は匿名性を非常に重視するようではっきりは分からない。しかし、今回は海外に流れるという事は避けられた。ほっとすると共に、今後再び国内で観る機会が生まれるかもしれないという期待も高まった。




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