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大谷敏久

私のモチーフ

 水彩画の写実と共に水彩画の切実(後述)に努めたいと思いたっています。         年始め、新聞紙上の俳句欄記事「切れ」に目が止まりました。全く門外漢の私には驚きの記事でした。かねがね俳句を佳くする絵の仲間ご本人や配偶者から啓発されていたお陰です。購入雑誌俳句1月号(角川)「大特集・切れ入門」は初対面、周りも「アタマ大丈夫?」と心配気でした。  「切れ」は季語等と共に俳句の大切な柱の一つとのことです。絵の写生技術として写実より更に深く心情にも踏み込んでの写生は、切実と言えるのではないかと思ったのです。 視覚に聴覚も五感さえも加えるとする独断と偏見です。切実は写実以上に深く強い意味を持つに違いないと思います。 

 切実の水彩表現は白抜きと余白の白地から始まります。「切れ」の言葉にぴったりですし、狙いと鋭さが通ずるように思います。 「水彩画に白地を残す」ことは水彩発祥のイギリスでも早くから試みられています。  しかも当時の紙質から後世に白地として残すべきところには白塗りしてあり、塗らない部分は酸化して黄変しています。  ターナーを始めガーティン、コットマン、ボニトンなどの作品にも見られるものです。  ターナー美術館、ウォーリスコレクションギャラリーで「その講釈」を受けたものです。  勿論日本でもその例が沢山見られます。

「紙の白地を残すこと」は長い間意識して描いて来ました。先達の大切な技量の一つといつも念頭に、機会ある毎に勉強して来ました。   白抜き或いは余白として白地の効果は作品の点睛、瞳、焦点として作家の真髄を示すものの一つかもしれません。  「白地」を意識した作品を見ていただきます。懐かしくもあり、反省もあり、意欲が燃えてきました。  前述の「後世に残るを意識して白を塗った作品」はありません。  為念

編集注;右作品の白い部分(空・河川等)はすべて画用紙の白(素地)です。着色していません。

廃墟(ベルギー)

隅田川佃島船泊

閘門(イギリス)

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