私はゴッホやモネの絵が大好きである。彼らの絵には写真では表現できない独特の詩情(感性に訴えるもの)がある。ゴッホの「種まく人」やモネの「印象・日の出」の絵に大いに感動し、自分でも描いてみたいと思ったのが始まりである。 還暦を過ぎてからのトライであるが、彼らの多彩な色や筆の勢いを手本にして日本の風景(特に湖や古い家屋等をキーワードにして)が生き生きと描けたらと思っている。
退職後に得た自宅の近くに手賀沼があり、その岸辺の遊歩道を毎日散歩している。四季毎に色合いが異なる手賀沼を眺め、気に入った風景に出会うと印象派の絵を思いながら構図を考えたりしている。 春には岸辺の草木が一斉に花をつけて景色を艶やかにしてくれる。また、秋には夕日が空と湖面を茜色に染めて一瞬にして豪華なゴッホ的な油絵にしてくれる。これらの季節を狙って手賀沼風景を描いたのが油絵-1と油絵-2である。
油絵:1 「つつじ咲き競う手賀沼」P12
油絵-1は、岸辺に沿って植えられたつつじの花群をメインとして背景に小舟の釣り人を配した絵である。 つつじの花は清楚な趣をもちながらも田舎の小路を賑やかにしてくれる。 油絵-2は、夕日が湖面を赤く染めながら沈む直前の風景を描いたもので、モネの「印象・日の出」を模して「印象・日の入り」と名付けている。しかし、モネやゴッホのような鮮やかさとは天と地の差があり、表現できない自分の未熟さをいつも反省している。
ゴッホは十年で八百枚の作品を描いたという。生きた色や線を出すには一にも二にも実技の繰り返しが求められることを改めて認識する。
私の尊敬する会社の先輩はしばしば絵画展に足を運んでくれる。彼は私の絵を見て何時も何が言いたいのかねと質問する。プロ画家の教本には絵は表現の自己主張であり、コンセプトを持って描けとある。全く同感なれども、いざ自分の絵に対して何を描きたかったのかと問われると説明に四苦八苦する。 しどろもどろの絵はだいたい出来が悪い。
油絵:2 「印象・日の入りの手賀沼」F10