北大キャンパス・農場(小石撮影)
◆ 合評会
時:7月17日(火)午後1時から
所:司ビル3F 神田駅西口商店街直進外堀通り右折
◆ 第二回いんでないかい二人展 (細井真澄・章子) 時:7月3日(火)~8日(日) 所:札幌市・gall・エッセ 札幌では初めてのご夫婦二人展です。
□ 裸婦クロッキー集中講座2018・夏 予告 ――自分に合った描画材料・紙を極める 日時:8月1日(水)~6日(月) 実技: 午前10時から午後4時まで 場所:司画廊(国分寺市本町4) 講師:井上護(二期会幹事) 受講料:15000円(展示費、モデル代他) 定員:35名 先着順 但し実技3日間出席可能な方 申込み:司画廊事務局 国分寺市本町4-20-10 Mail :tukasa-kbj@k-jh.co.jp
■ 深井 靖さんを偲んで ■
(昭34年北大・農卒 平成24年当会加入 平成30年5月10日逝去。享年83歳)
深井さんの「私のモチーフ」(2013年/7月)をご霊前にお供えします。(原稿は全文手書きでした)謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
★私のモチーフと言えば人物ですが、まだモチーフについて書くだけの器量も能力もございませんので、本から頂いたよい話を紹介させていただきます。最近ふらふらと本屋をのぞいて「絵を見るヒント」(窪島誠一郎著)が目につきました。いつも二紀展、国展などの抽象画をみて困っていたからと思います。老眼鏡を忘れて来て、目次や内容を読めず、題名と著者だけで買いました。 絵を始めたばかりの頃、カルチャーの水彩画教室の先生に連れられて、クラス全員で安曇野にスケッチに行きました。その際「無言館」にも寄りましたので、窪島誠一郎の名前は記憶していました。肝心の抽象画については何も触れておりませんが、絵にまつわる「一寸いい話」に泣けました。昭和33年当時の話だそうで、60歳後半から絵を始めた私だけが知らなかった話であれば誠に申し訳ございませんが、まだ知らない方もいることを期待して「一寸いい話」の中の一例を紹介します。(編集注;窪島誠一郎・戦没画学生「無言館」館主)-----[これは今から何十年も昔、昭和33年3月頃のことです。当時、東京銀座のMデパートの催事場に勤めていた若手社員K氏のもとに、差出人のない一通の手紙が届きました。宛名はたどたどしい鉛筆文字で「てんらんかいのかかりのみなさんへ」と記され、4枚の便箋にびっしりとしたためられている文章も平仮名ばかりの稚拙な文字でした。その手紙は「わたしはもとあかせんではたらいていた十九さいのあきたうまれのおんなです」と言う文章で始まっていたのです。内容はこうでした。――――――女性は何年か前から東京下町の赤線地帯で働きその収入を故郷秋田に住む病弱の母親の生活費と、夜学に通う妹の学費のため送っていたとの事でした。その年の春から実施されるようになった「売春防止法」によって、女性は赤線から足を洗い、母や妹の待つ秋田に帰ろうと思ったのですが、もはや身体も心もズタズタに傷ついた女性に、その気力が残っている筈がありませんでした。遂に自殺を決意した女性は、自殺場所に決めた熱海の錦ヶ浦へいく切符を買うために、Mデパートの7階の交通公社を訪れたというのです。その時、たまたまMデパートの7階催事場で開催されていたのが「村上華岳展」でした。村上華岳と言えば、大正から昭和にかけて京都画壇を代表する「近代日本画の父」とも呼ばれた有名な日本画家です。大正7年、土田麦僊、榊原紫峰、小野竹喬、と言った人たちと印象派的傾向に支配されていた文展に対抗して「国画創作協会」を結成し、深い精神性に裏打ちされた信仰的な作品を描いたことで知られています。(中略)少女は交通公社で切符を買った帰りに、たまたま村上華岳のポスターを見て、そこに使われていた華岳の裸婦の顔が、あまりにも母親に似ているのに惹かれ、思わずその場に足を運んだのでした。
村上華岳 「裸婦図」 1920年 (大正9年)絹本着彩
そして展覧会場に飾ってある裸婦の作品の前に立った時、少女はなんともいえぬ心の安らぎを覚えて二時間もそこに佇んでいたというのです。それは華岳の絵の奥から聞き覚えのある懐かしい母の声が聞こえてきたからでした。その絵からは確かに「死んではいけないよ。帰っておいで。生きて秋田に帰っておいで」と言う母親の声が聞こえてきたのです。少女はその声を聞いて、たとえどんなに辛くても自分は死んではいけない、生きていかねばならないのだと悟ったと言います。少女の手紙は「このてんらんかいをひらいてくれたひとにかんしゃします」というお礼の言葉で結ばれていました。そこには「わたしはしにません。いきてははのまつあきたにかえります」という言葉が記されていたそうです。手紙を読んだMデパートのKさんはただ涙するばかりでした。そしてしみじみと「絵というものは凄いものだな」と感じたそうです。この話は私たち美術の世界で働く者にとってはバイブルのような、だれでもよく知っている話です。―中略―まだ暗かった当時の世相を何ともいえず温かい光で照らしたことでも有名なエピソードです。