久しぶりに千葉県立美術館に行き、企画展「原勝郎と板倉鼎」展を参観した。又浅井忠のドローイングの展示室も合わせて参観したのでパンフレットの記事から抜粋し簡単にその作家を紹介する。 三人とも千葉にゆかりのある画家たちである。
原勝郎は、1889年千葉県出身で、白馬会系の葵橋洋画研究所に学んでいる。1920~22年に渡米、渡仏しているが、日本の画壇とはあまり繋がりを持っていない画家のようである。画風は茶色を中心としたくすんだ質素な色調でパリの街角等を描いている。彫刻家とも親交のある画家で、戦後は日本の木々に関心をもち、新樹会に所属し大木の奥に潜む生命感を追及し多くの作品を残している。1966年に死去。
A「モンマルトル」は、パリのベロニー街にアトリエを構えて制作された作品である。
板倉鼎は、1901年埼玉県出身で、千葉県松戸に住んでいたことのある画家。東京美術学校西洋画科で岡田三郎助等に師事している。1926年に渡仏しているが、途中ハワイで挿絵を描いている。画風は写実から離れ、華やかで構成的な画面へと作風を変えている。今回展は特に静物、人物が中心であったが人物を含め画面の構成物の形態と配置は、必然性をもたせている。後に構図の研究を行っているが、28歳で死去。 B「裸婦」は、パリで作成されたものと思われ、華やかさが感じられる。
浅井忠は佐倉藩出身の画家。今回展はドローイングのみの展示であった。浅井は少年の頃から天才肌で官立美術学校「工部美術学校」の第1期生で知られ、フォンタネージュの指導を受け、風景や人物デッサンで基本的なことを学んでいる。多くの油彩、水彩画を残しているが、後に室内装飾分野に多くの作品を残していることはよく知られているところである。ここに紹介するドローイングCは、「曳舟通り」でペンによるスケッチ画である。 浅井は優れた観察力で対象を線で巧みに捉えて描いている。他のドローイングも同様であるが、立体感や画面の奥行きとともに、その場の光の様子の捉え方は、我々に非常に参考になる。
編集注;ドローイング(drawing) 製図、図面の意味をもつが、美術用語としては一般に 「線画」と訳される。しばしば素描やデッサンと同じ意味で用いられるが、いずれも単色的、線的であるという点が特徴であることによる。
A 原勝郎「モンマルトル」
B 板倉鼎 「裸婦」
C 浅井 忠「曳舟通り」