何人かの方に年賀状をお送りするようになってから最近まで、その形態もいろいろ変わってきました。 アルプスの高山植物のスケッチを何年か描いた時期もありました。 スケッチに短い文をつけるようになったのは1998年の年賀状からで、これは1997年の秋にチロルのハイリゲンブルトで8才と6才の姉妹と仲良しになり、ふたりは私のスケッチブックに村の教会の絵を描いてくれたのがきっかけでした。 この絵は黒百合会報にはすでに登場していて、ここにまた出すのは恐縮なのですが、子供の絵としてもなかなか味わいがあります。 絵を描く知人の女性も「いい絵ね」と言ってくれました。 スケッチに短い文をつけた年賀状はこの絵から生まれました。この短文を選ぶのに苦労するのはこちらの裏話です。
ところが考えてみると、スケッチとそれにつけた短文は新年と何の関係もありません。
むしろありきたりの「今年もどうぞよろしく」の方が新年の意味合があります。しかし年賀状というものに決まりは何もありません。 実際、研究の余暇にマッターホルンを拝みに行ってフーリに泊まったこと、あるいはユングフラウに会いに行ってヴェンゲンに泊まったこと、旅行先のチロルで行きずりの街に泊まったこと、そしてそこここで誰かとの出会いがあったこと、などなど、忘れ難い小さな思い出の一つを取り出して年賀状に載せたのです、新年には関係なしです。 そこには私の感傷、感慨、大げさに言えば哲学もありました。 これが結構永く続きました。 しかし御年97才、今や終止符を打つ美学を探っています。 往時茫々、かすかな哀感をこめて。
ハイリゲンブルートの教会
ヴェンゲンの花車
過去の年賀状からの2例選びました。 「新年おめでとう・・」、「平成**年・・」などを消すと、少々サマにならなくなりました。