対談;樹木希林×山川静夫 「美しい人はより美しく・(そうでない場合は?)・それなりに映ります」と富士フィルムのCM。女店員と客の会話は当時流行語になった。客=女優・樹木希林が9月に亡くなった。享年75歳。樹木希林の逝去を悼むと共に、タウン誌「銀座百点」(注)に載った山川静夫(芸能評論家)との対談記事を、下記に抜粋してご紹介します。 ―――――― 小石浩治
山川;今年、樹木さんが出演した映画は全く違った役どころでしたがいずれも素晴らしかった。熊谷守一夫妻を描いた「モリのいる場所」、カンヌのパルムドールを獲得した「万引き家族」、そして「日日是好日」がシネ・スイッチ銀座で公開を控えていますね。「モリの居る場所」は熊谷守一(画家・1880-1977)を山崎努さん秀子夫人が樹木さん。老夫婦の日常生活を自分に重ね合わせて観ました。守一さんは普通の人と全く価値観が違うんですよね。そんな旦那さんのいうことを秀子さんはちゃんと聞いていて、ああいう奥さんがいたらよかったのにと思いました。
樹木;普通のご家庭は、皆さんそうじやないですか。
山川;そんなことありませんよ。 樹木;「ありません」のはうちだけかと思ってた(笑)。守一さんは一日中 石ころを見てても飽きないし、アリがどっちの足から歩き出すなんてことをじっと観察してるのね。
山川;そして是枝裕和監督の「万引き家族」では社会の底辺に居る一家のお婆さん役でした。
樹木;あの映画がパルムドールをとったことはよかったのよね。やっぱり士気が上がるから。カンヌを目指して全世界からお金も人も渦を巻いてる中でトップを取って。是枝さんもさすがに足が震えてたって。
山川;「日日是好日」は、黒木華さん演じる主人公が通う茶道教室の武田先生です。お茶の心得はあったんですか。
上図:熊谷守一「豆に蟻」1958年
樹木;いえいえ、まるでないんです。この映画に出るんで習うように言われたんだけど、茶道を一からあれこれ教わっていたら撮影が終わっちゃうでしょ。監督をはじめ皆習いに行って、行かないのは私だけ。森下典子さんが、ご自身の経験をそのままお書きになった原作がすごくいいの。道を究めるとかじゃなくて、若い女性がたまたまお教室に通い出して、歳月が流れる中で行き詰まったり悲しいことが起こったりする。そんなときにお茶を通じて色々見えて 来るという話なんです。―略― 若い頃は、自分がこうだと思うことを否定する人は嫌いというか、見えないようにして 生きてきたのね。でも75歳の後期高齢者になったら「人は皆それぞれにチャーミングじゃないの」と気づいたのです。いやな部分も見方を変えると魅力になるんだと思ったら、もう、どんな生き方も受け止められる。そしたら、うーんと楽になっちゃった。―略― あれがダメ、これキライと言ってるうちは自分でも苦しいのね。でも他人と接することをしないでは生きられない。それこそ熊谷守一さんみたいに精神が盤石であれば孤独でいられるんだろうけど、・・私はそうじゃないから・・。
山川;樹木さんは向田さん脚本の寺内貫太郎一家をはじめとしたテレビドラマの常連でした。
樹木;向田さん、「貫太郎一家」時代の脚本は辻褄が合わない、いい加減なものもあったの。 合わない部分はしょうがないってんで役者たちでギャグを入れたりして穴埋めしてたのよ。 でも彼女もガンを体験した頃から何か書き方を変えたのね。・・・「阿修羅のごとく」とか。
山川;「放送と魚は生に限る」って僕はよく言うのです。(笑)―-略―「七人の孫」という向田さん の作品で森繁久弥さんとお仕事されたときは相当鍛えられたのではないですか。
樹木;(森繁が)満州へ行ったり戦争で子供抱えて苦労したこと、経験した生活が全部味わいに なっていて、それがアドリブにも生きているから勉強になるの。向田さんも演出の久世光彦さん も私も森繁学校の生徒で、日常なんでもないところ、むしろ悲しい時にフッとおかしいことを する人間というのを教わったのね。―略― 森繁さんと出会わなかったらば、「モリのいる場所」 の秀子さんみたいな役どころ、芝居の面白さっていうのは身につかなかったんじゃないかな。
山川;お身体、いかがでしょう。
樹木;一寸前に転んで首が回らなくなっちゃって、治まったと思ったら今度は左足が動かなくなって、だから今はたまたま家にあった山登り用の杖を突いている。―略― 人には手を貸さないで、荷物を持たないでって言っているの。自分のリズムがあるし、甘えちゃうと忘れ物しちゃうんですよ。何か忘れる時って、必ずだれかが付いている時なのね。自分っきりいなければ大丈夫。―略― うん、一人で生きている。なんだってやりますよ。朝の掃除から始まって結構一日中用事はあるの。それをしないと役者はね、日常生活が描けない。私が藤村志保さんのように端正な顔立ちだったらば、何もしないお姫様でいいですけど、そういう役はまず来ませんからね。(笑)・・ 今日も口紅持ってきてない、女優なのに。(笑)
山川;悟りの境地ですね。
樹木;最近になって、松尾芭蕉や正岡子規ってすごいんだなって思えるようになったんですね。 子規が書いているでしょ、「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」って。 私は一昨年、宝島社の正月の新聞広告に出たんだけど、そのキャッチコピーが「死ぬとき ぐらい好きにさせてよ」、写真は水に沈むオフィーリアの扮装なの。いつでも死ねる覚悟がある人間だということで選ばれたんだと思うし、自分でもそう思っていたけど、子規は違うと言うのね。いつでも、どんな場合でも平気で生きているという強さ、それこそが悟りだと。だから私も病気にかかってこの年齢になった今こそ、やっと平気で生きているんだと、皆さんにお伝え出来るのね。
山川;病という困難を克服し、自分の足で一人、しっかり生きていく。樹木さんみたいに生きるにはどうすればいいのか、よく訊かれるんじゃないですか。
樹木;そういうご依頼、すんごく多い(笑)。でも私は勝手にやってんだから教えるもんじゃないし、人に依存しないで自分で見つけて下さいって全部断っているの。
山川;“希林”という名前だけに、実に凛として います。
ジョン・E・ミレイ「オフィーリア」1852年
樹木;適当にくっつけた名前だったんですけどね。なんだか変わった人生だなあって、今頃になって思っています。
(注)「銀座百点」no766(発行:銀座百点会2018・9)[ GINZAGUEST 百点対談 ]から。