11/2~25/2018 国立新美術館
「日展ニュース」に審査員の所信を述べた記事が目にとまったので、抜粋してご紹介する。(「日展ニュース」no170 平成30年9月28日発行)
◆高梨芳美(第二科(洋画)会員・審査員)今、絵を描いている学生が居ません。一時的な現象ではなく、ここ数十年、定着した事実です。考えてみれば、すでに絵画の考察は進み、新しい奥行きの新天地がなくなりました。ちなみに三つある奥行き(注)のすべてを一人でこなしたのが、マチスとピカソであることは周知のとおりです。絵は奥行きの芸術ですから、ある意味、功名心を満足させるテーマが無くなることで、熱が失せると、動画や立体に(オブジェと言われる立体も絵画理論の最終産物と思われます)若者が流れるのもむべなるかなです。 それはそれとしても、日本の洋画は混乱の中に歩いてきました。「素人には分かりにくい」を理由に、平面の理屈を敬遠してきたのが原因だと思います。後続の人たちに再び平面の世界を旅する勇気を与えるためにも、専門家集団である日展の役割は大きいと思います。
◆北本雅巳(第二科 会員・審査員) 日展がようやく平時の姿を取り戻しつつあるように思います。一方で、少なからぬ曲解やブレーキによる失速も癒えきらぬ中、昨年から会場縮小によって第二科の入選数は百点余りの減という大変厳しい状況を余儀なくされています。一昨年までなら楽に通過できた作品が、今やボーダーラインに位置することになります。厳しくも、より丁寧な審査に向け、重責を感じています。出品される皆様には、厳選を意識しすぎて作品が無難や萎縮へと傾かれぬよう願いつつ、マンネリや類型を越えて挑戦している作品、日展を盛り上げ刺激するような斬新で特色ある作品に注目したいと思います。
◆児島新太郎(第二科 準会員・審査員)北関東でお世話になったアトリエの家主で、自動車メーカーの技術者だった彼が言うには、「テクノロジーが進歩して、どれだけものが溢れても人の心は満たせない、けれども芸術は心そのものを動かして現実を豊かに見せることが出来る」との事でした。この会話で思い浮かべたのが、紙に描かれた睨み鯛です。加賀藩の御算用者を務めた猪山家は、嫡男の4歳を祝う際に、家計が苦しいため宴の鯛を紙に描くだけで楽しく祝ったそうです。実際に手に入らなくても笑える心持ちと、その豊かさを絵画という手段で実現できることを家主や江戸時代の藩士が時空を超えて示してくれた気がしました。美しい心持を子や孫の世代へと受け継いでいけるように、これからを見据えてやっていきたいと考えています。
注:構図上、装飾性、絵画性、前衛性の3つの要素を持つ。マチスの「赤いハーモニー」を見ると、ねじれた青い蔓草模様と赤い壁紙とテーブルクロスが、壁とテーブルの境を曖昧な状態にして、部屋本来の3次元空間を消滅させ、全体を一つのフラットな赤い空間にすることで、装飾性の高いキャンバスになっている。しかし、赤とは対照的に、窓から見える緑の庭、青い空、果物の入ったボールを動かそうとする女性の存在が、鑑賞者の視線を移動させ、絵画的な奥行きを出している。赤、黒、青オレンジ、紫という鮮やかで大胆な色彩構成になっている。窓から見える景色は修道院の庭、テーブルや果物のレイアウトしているメイドは、色や構図を考えているマチス自身を表す。
(Artpedia より)
第5回展特選・金築秀俊作「ボクサー」