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小石浩治

「フランダースの犬」とルーベンス

Ⅰ.「フランダースの犬」物語・あらすじ  ネロ少年と老犬のパトラッシュは年老いた祖父と牛乳運搬(荷車で)業をしながら暮らしていた。 食べ物もろくに手に入らぬ貧しい暮らしであったが、二人の人間と一匹の犬とが、互いに心から愛し合っていたので幸せだった。少年は早くから絵が好きで、いつか名のある画家になることを夢見ていた。アントワープの町は欧州でも古くから有名な港町で商工業の中心地でもあった。

 なかでも町のシンボルでもある聖母大聖堂に、ルーベンスの描いた「祭壇画」があった。だが観覧料が必要なので、ネロ少年のような貧しい者たちが見ることは叶わなかった。ある時町で18歳以下の若者なら誰でも応募できる絵の競技会があり、少年は、もし入賞したらその賞金で生活を助け、絵の勉強もできると考えていた。入賞者の発表は12月24日(キリスト降誕祭の前日)。  ある日の夜、村の金持ちの家(粉屋)に火事が起き、ふとしたことからネロが火をつけたという疑いがかけられ、村人から冷たい目で見られるようになる。折悪しく病床の祖父も亡くなり、家賃も払えず、少年と犬は家を追い出される。心頼みの競技会結果発表にネロの名前はなく、夢は打ち砕かれた。  雪の降る夕方、失意のうちに帰る途中、パトラッシュが雪の中に茶色の革袋(財布)を見つけた。  粉屋の主の名があったので届けに行き、老犬を一家に託すと再び雪の夜の闇の中に消えていく。  老犬パトラッシュは粉屋一家のすきをみてネロ少年を追って飛び出す。向かった先は大聖堂。 ―突然、大聖堂の窓から月の光が差し込んできて「キリスト昇架」、「キリスト降架」を照らし出す。  祭壇画の下の石床で、ネロと老犬は抱き合ったまま冷たくなっていた。  翌日、アントワープの高名な画家が「少年の絵は当然入賞しても良かった。前途有望な少年だ。 連れて帰って絵を仕込んでみたいのだ」と皆に言ったが、時すでに遅かった。 ―「フランダースの犬」ウイーダ作。松村達雄訳、亜沙美画

※作者ウイーダ;(本名・マリ・ルイーズ・ドウ・ラ・ラメ―)1839年イギリス・サフォーク州に 生まれる。幼い頃から動植物を愛し20歳頃から大人向けの小説を書き始め、女流作家 になった。69歳イタリアで没。

      ルーベンス自画像  1623年頃       

    (講談社・青い鳥文庫表紙)

Ⅱ. ぺーテル・パウル・ルーベンスのこと 1) ルーベンス(1577~1640)は、17世紀バロック時代のヨーロッパを代表する画家、ドイツ北西部生まれ、両親はベルギーのアントワープ(アントウエルペン)出身、1598年アントワープの聖ルカ組合の一員となる。1600年勉強のためイタリアへ行く。ベネチア、ローマに滞在、チントレット、ダビンチ、カラバッジオの作品を研究。1600年マントバ公に仕えたが08年母の死去のため帰国する。 09年ブリュッセルのアルベルト大公の宮廷画家となる。この頃から豊麗な色彩、力強くて劇的な画面構成を独自に作る。更に大規模工房を経営して、ブリューゲル、ファン・ダイクらを含む多くの共同制作者、助手を得て制作した。作品にアントワープ大聖堂祭壇画「キリスト昇架」「キリスト降架」ほか100点余の宗教画、多数の肖像画、風景画、動物画がある。  その後多彩な芸術活動に加え、外交官としても活躍し、芸術と人柄からヨーロッパ各国の王侯 から多大の尊敬と愛顧を得た。1640年アントワープにて没。 ※上野の国立西洋美術館で「RUBENS・ルーベンス展」(10/16~2019/1・20迄)

2)フランドル(英・フランダース)絵画=ネーデルランド絵画は都市の経済的な繁栄を背景にフランドルで発展した。バロック期においてはフランドルの絵画の代表はルーベンスである。  ルーベンスは当時のフランドルにおけるカトリック復興の気運に応じて、多数の祭壇画を描く一方、世俗美術の分野では、各国の宮廷のために大規模な建築装飾を制作して、国際的に活躍した。  注文者のフランス王母の半生を寓意的、神話的存在を交えて表した下図「マリ・ド・メデイシス の生涯」(1621-1625 年パリ・リュクサンブール宮殿の大広間のために描いた)が代表作だが、奔放な構想力、輝かしい色彩、やわらかい筆触を生かした巧みな質感表現は、形式的になりがちなこの種の絵画にも豊かな生気を付与している。晩年には前世紀のブリューゲルの伝統を発展させて、身近なフランドルの自然を描き、天候や時間が諷詠に与える微妙な変化を捉えて、風景画に新局面を開いた。  

――「西洋美術史」から。監修;高階秀爾 美術出版社刊

「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」1615-16年

  「マリ・ド・メデイシスの生涯」1621-25年

※バロック:バロックの語源は(ポルトガル語)「歪んだ真珠」。絶対王政の庇護のもと、宮廷人の視覚を楽しませるための奇矯で過剰なサービスが、こうした呼称を招いたといわれる。ルネッサンスにおいて頂点を極めたヨーロッパ絵画の次がバロックで、具体的特徴として、作為的なポーズ、劇的な明暗、過剰な装飾性が強いこと。バロック的空間として言われるものに「ベルサイユ宮殿」があげられる。

Ⅲ. 「フランダースの犬」物語再び  「フランダースの犬」物語は、フランドル派という絵画史上に残る流派を生んだ土地を舞台にして、1870年頃に書かれた、15歳のネロ少年と老犬パトラッシュ、人間と動物の友情の物語である。 1)ネロ少年の描いた絵  ネロ少年が描いた絵の一つは、村一番の金持ちの粉屋の娘アロアが、老犬パトラッシュに綺麗な 花輪を首にかけて遊んでいる姿を、松の板に木炭で描いたものだ。粉屋の主は、娘が貧しい少年と 一緒に遊ぶことを嫌い、一フラン銀貨で買い取る代わりに交際を禁じた。少年は銀貨を受け取らず 「似顔絵」も渡してしまう。もう一つは、少年と老犬しか知らない絵の競技会に出した作品である。  描き方をネロに教えてくれる人は誰もいなかったが、荒れ果てた納屋の片隅に、粗末な材木で作った画架に大きな灰色の紙を広げて、クレヨンで描いた人物画・[ 倒れた木の上に腰かけ、すっかり年をとり、働き疲れた木こりの姿 ]であった。(忍び寄る夕闇を背景にして、一人淋しく物思いにふける木こりの姿は、さながら一つの詩の様に、見る人の心を動かした・・「物語」作者の作品評)。  入賞者はアントワープの波止場主の息子が描いた絵だった。おそらくキャンバス(帆船の布?)に 高価な絵の具で描いた油彩画かと想像してみる。少年は絶望のあまり外の石畳みに倒れてしまった。 2)“十五のこころ”  飢えと寒さと競技会落選の悲運にうちひしがれて村へ引き返す途中、老犬が雪の中から革袋(財布)を見つけたので持ち主(粉屋)の家に届けに行く。アロアの母に「革袋を見つけたのはパトラッシュだから、せめてこの老犬に食べ物と寝る処を与えて」と、自分をさしおき老犬のことを頼んで暗闇の雪道に消えて行く。老犬が少年の跡を追って大聖堂で見たのは、拝観料が必要な、あの「キリストの昇架」「-―降架」の下に倒れているネロ少年だった。――少年は聖堂の番人のいないお堂に入り、そっと覆いをめくったら、月の光で「祭壇画」がはっきりと見た。追って来た老犬をしっかり抱きしめて囁いた-「あそこへ―天国へ行けばイエス様のお顔が見られるよ。イエス様は決して僕たちを 離ればなれにはなさらないだろうよ」。――翌朝、人々が冷たくなった“二人”を 見つけたのは「キリスト降架」の下であった―――― 。  貧しくとも夢を持ち、感じやすく、誇り高いネロ少年、(15歳の心)で描いた「木こり」の絵は、どうなったのだろう。少年に冷たく当たった村人達で、聖堂の「聖母被昇天」(ルーベンス作)の絵の下に「木こり」の絵を置き、許しを請うた---と物語に書き加えて欲しかった。

注)「キリスト昇架」「キリスト降架」は、各々屏風式の三連祭壇画(大聖堂所蔵)である。   上野の「ルーベンス展」では実物は展示されず、代わりに美術館は4Kで再現した。

     ルーベンス・「キリスト昇架」1610-11年

   ルーベンス・「キリスト降架」1611-14年

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