この絵は、あの東日本大震災の津波で被害にあった人々が助け合って避難している様子を描いたものである。必死の形相で避難する男性、子供が行方不明のままで、うつろな目をしながら救助のホースにつかまっている女性。突然襲った災難に明日のことを考える余裕もないままに歩いている人々。我々はどこへ行くのか?そして3月の海の冷たい水を浴びて津波に流された人々はどこへ行ったのか?
「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」これはご存知、ポールゴーギャンの言葉であり、彼の絵のモチーフである。しかしこれは彼だけのテーマではない。自然科学者、哲学者、宗教学者、歴史学者、いや学者だけではない、一般の我々が絶えず意識する言葉でもあるのだ。つまり人は無意識的に死後の世界を考えているのだ。
以下は私の空想の世界である。 例えば、人は生きてその人独自の経験をし、死後その経験が、ユングが唱えた「集合的無意識」の中にすべて取り込まれて「人類の歴史が眠る宝庫」つまり人類が持つ共通の素地「集合的無意識」として人間の無意識の奥底に鎮座するようになるのだろうと…。 いわゆる仏教の「阿頼耶識(あらやしき)」の世界だ 「集合的無意識」そこには時間の前後も空間の拡がりもない。ただ生命エネルギーとでも呼ぶべき海があるだけなのだ。その海の波間に浮かぶ泡のように我々は生きては消えてゆく存在なのだ。
アインシュタインが言うように、時間空間は絶対不変じゃなく、生成消滅はもちろんのこと、伸び縮みが自由なものなのだ。また釈迦が言うように、時間も空間も人が作り上げた幻想にすぎないのだ。 ただ生まれては消える泡のように、我々は今、生きて生命の海の波間に浮かんでいる。だから「私のモチーフ」つまり私が絵を描く動機は「この短い生を生きた、見た、あるいは経験した証拠を絵に残す」ということに尽きる。どんな人生を生きるか?それはある子供たちが言うように、生まれる前に我々が自由に選択したものかもしれない。例えば、非難や異論を覚悟で言えばこうだ。 「2011年3月11日の東日本大震災を経験する人生旅行の便が間もなく第20番ゲートより出発します!該当する旅行者は、急ぎ第20番ゲートからお乗りください」そこには巨大なロケットが漆黒の闇をめがけて飛び出そうとしている。その人生旅行の便に乗り遅れまいと、急いで乗船する人々。その中にはその人生旅行の半分の日程で舞い戻ってくる乗客も少なからずいたのだ。
どこに舞い戻ってくるのか?あらゆる人生が詰まった人生の観覧車。人生旅行のターミナル。集合的無意識が形成する「人類のあらゆる人生の歴史が眠る宝庫」「集合的無意識」そこに人々は死んで舞い戻るのだ。 ビッグバン宇宙では超高温高圧の一点から時間も空間も生まれたという。それまでは我々の世界は時間も空間も無かったのだ。 それ以降、この世に神や仏が現れ、しばらく経って、我々現代人が現れた。我々人類は、仏と共に輪廻転生を繰り返しながら、現代文明を作り上げると共に、「人類のあらゆる人生の歴史が眠る宝庫」「集合的無意識」をも作り上げてきた。
釈迦が百千万億那由多の昔から滅しては現れて勇猛精進しているように、人は輪廻転生を繰り返してあらゆる人生を経験しているのだろう。あたかも様々な人生を経験しようと人生旅行の旅に出かけては舞い戻る旅行者さながらである、と考えると、僭越ながら、被災者の悲しみは幾分でも癒されるのではなかろうか? つまりこれは仏教が人々の悲しみを和らげる概念、常套手段そのものである。
私の母の母校で、私の第二の故郷、児童、教職員ら、84人が死亡、行方不明になった大川小学校。そこは津波で壊され、見るも無残な姿をさらけ出している。遺族の悲しみは計り知れない。しかし、残された人々は残された人生を歩み始めなければならないのだ。何を頼りにして生きていくのか? 「人は輪廻転生を繰り返すのだから、愛するわが子や配偶者も、どこかの場所で生まれ変わって、楽しく新しい人生を歩んでいるに違いない」と考えるのだ。 私の親しい友人や親戚縁者らも、どこかで生まれ変わって、新しい生を生きているに違いない。そして、この私の絵を見てこう言うに違いない。「大変だったね。必死に生きようとするお父さんやお母さん、そして兄弟たち。僕は一度死んでから、もう新しい人生を生き始めているんだよ。だからもう悲しまないで、むしろ精一杯、楽しみながら自分の人生を送ってくださいね!」と…。
「われわれはどこから来たのか われわれは何者かわれわれはどこへ行くのか」 (P.ゴーギャン)