top of page
大谷敏久

画道に思う

私は早い時期から水彩絵の具に接していました。 小学校の2年頃には真鍮バレットと水彩絵の具一式を用意していました。 それ以来もう90年以上もそのまま使用しています、愛好者の一人です。 長い使用期間にも、少しも変わらぬ白線黒白エンビツ使い方をしていました。 そんな本人が振り返って見るのも面白いと思います。

その都度に感銘を受ける作品に出会って、感激を新たにしていました。最初の驚いた経験は「日本橋の高稼働敷設直前風景」(昭和27年頃)図上と「多摩川風景」(昭和40年頃)図下の経験です。

全く違って見える風景にすっかり見惚れたものです。以来いろいろな機会に良いチャンスを得た事を感謝しています。

例えば・始めの頃「最初はコンピューター」と「コンピューターもどき」でした。コンピューターには面白い思い出があります。

コンピューターの部屋には全く同じ題名の部屋が幾つもあって、びつくりして帰ったものです。

次は「新しい絵の具(全く新しいアクリルなど)」です。  何が出てくるか分かりません。一つの題を持ったままの追求には、そのままと其の違いの差が見事に見えてくるのも面白いものでした。 自分の本物の作品は遂に達成出来ずに終わります。  嗚呼

・野見山 暁治(98歳)のこと。 芸大には日本のいつも新しい発見を知ろうとする人々がいます。

上の図:「玉川」カット・大谷 野見山先生はフランスに長く行かれて研修をされ、「棒状の作品」を残しています。 現代では他に4人の先生が選ばれています。独特の調子を持った先生に違いありません。 こ想像ください。大谷99歳です。

・フランスのマチスのこと。 昨日に初めて見た写真には大変な驚きでした。何分にも10 ケ月に見たマチスの写真です。全く目を見張る思いです。目の醒める思いとはこの事です。色彩と色調の調子のスゴイ事です。異しい美しさにホントにびっくりです。さてこれからの画道はどの様になるのでしょうか。ゴーギャンではありませんが、「何処から来て、何処へ行くのでしょうか」。長い人生は何時迄も続いていくのには違いありません。 終わり

閲覧数:14回0件のコメント

最新記事

すべて表示

投稿

投稿

bottom of page