風景との対話
- 佐々木 繁風景との対話、それは、「これからの行く末を尋ねる」風景との対話でもある。
- 2019年4月1日
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「沈みゆくベネチア」
風景との対話、それは、「これからの行く末を尋ねる」風景との対話でもある。 数年前に絵に描いた中世のひと頃の繁栄を示すベネチアの運河。その華やかな場所にも破滅の影が忍び寄る。今年2018年10月29日の夜、ベネチアの4分の3が冠水したという。 それは過去40年間で最大の規模だという。もともと年に20回ほどは冠水するというベネチアのサンマルコ広場。観光客は、スネまでズボンをまくり上げて歩くのが習わしになっている。 日本でも今年の異常気象は最悪だった。巨大台風で家が地震の時のように揺れ、大雨で床上浸水も経験し、夏には熱中症になり倒れた。これは私が初めて経験した温暖化の影響である。地球温暖化のせいで、ここ半世紀のうちに冠水するだろうと言われる都市は多い。 我々はこの温暖化をくい止める為に何ができるだろうか?何もできないのだ。巨大な台風や大洪水や夏の熱波に対して、ただ狼狽するのみである。人類が一致団結して事に当たらなければどうしようもない。しかし利害が絡み合った国同士が一致団結するにはもう時間がない。 このベネチアの運河の風景は、沈みゆくベネチアを象徴する風景だ。今後、水位は段々高くなり、船着き場も水の中に沈んでしまうし、両岸の建物も浸水して住めなくなるだろう。我々絵描きは、この過去の遺産となるような風景を絵に描いてとどめ置き、見る人々に、懐かしさと共に人間の愚かしさ、栄枯盛衰の顛末を伝えてゆく義務があるに違いない。 そして人類の、遠い記憶の片隅に、「風景との対話」は、その歴史の足跡を刻んでゆくだろう。 (注;FRONTIER・北大東京同窓会会報NO54・2019/2/20から転載させていただきました・・・・小石記)
