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牧野尊敏

浅井忠について

 私の絵のベースにあるのは浅井忠の絵である。ご存知のとおり浅井忠は明治以降における日本美術界の大御所である。浅井忠は油彩画、水彩画以外に日本画、図案、美術工芸、彫刻等幅広いジャンルに足跡を残しており、教育者としても実績を残している。基本的なことを学ぶ上では欠かせない画家と思っている。浅井忠は千葉佐倉の出身で、内外で数多くのスケッチを残し、美術教育の普及に尽力し、幅広く活動した。特に水彩画の進歩に寄与したことは特筆される。 本稿においては、数ある作品の中で私の好む2点の作品を紹介する。

 その1つ「寒駅霜晴」は、農家の立ち並んだ朝の村落風景画で、薄かすみのある冬の武蔵野の、静かでのどかな情景を描いている。この絵は奥行き感が巧みに表現されていて、私の好きな絵の一つ。この作品は、明治20年上野公園で開催された工芸品共進会に出品されたものである。しかし、当時イギリス人に購入されて今は日本に現存せず、所在が不明となっている。従って絵の写真のカラー版はない。この絵の構成は、樹木を中心に配置し、焚火と人との佇まいの当時のありふれた農村風景であるが、当時の人里の生活空間を醸し出していて何とも言えない作品である。浅井忠は日本社会の構成、特に農漁村を中心とする日本風景を好んで題材にしており、この作品は日本独自の洋画を確立していく原点になっている作品と思う。

 2つ目の作品「曳舟通り」は、有名なペン画で完成されたデッサン画である。明治18年に描かれた作品で、小川のほとりの農家を描き、船と人と馬の配置されたのどかな風景画である。

ペンによる素描のお手本にしている。あまりにも有名な絵ではあるが、この絵には基本的な事項が数多く含まれていて、色はない大作の風格を有している。浅井忠は洋画を日本風にアレンジし、当時の印象主義の絵に染まることなく日本の良さを画風に取り入れ、後に続く画家に大きな影響、刺激を与えたことはよく知られている。例えば、石井柏亭が浅井忠の門下に入り水彩画を探求し、大下藤次郎、三宅克己等の画家が後に続いて特に風景を中心に描いて水彩画を確立していったことなどはその一例である。

岡倉天心を中心とした明治前期における日本洋画の暗黒時代にあって、国粋主義に屈することなく洋画発展の基礎を築き、地道に教育指導等にも努力し今日の日本洋画美術に結びつくレールを敷いたことは大きく評価される。ロンドンでは夏目漱石とも交友があったと伝えられている。 ヨーロッパから帰国後は、いわゆる紫派と称される黒田清輝のグループから離れ京都に居を移し、デザイン、陶芸等にも作画活動を広げ関西美術界にも大きく貢献したが、51歳で病没した。

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