このたび松戸の聖徳大学において、「フジタとイタクラ展」が開催され参観してきたのでその感想を記す。フジタは「藤田嗣治」で、国際的に有名な画伯であるが、イタクラは「板倉鼎、須美子夫妻」でともに画家。板倉鼎は、東京美術学校出身で藤田嗣治より15歳年下、須美子とともにパリに留学していた頃、藤田嗣治との出会いがあった。パリ滞在中に藤田嗣治を会長とする「仏蘭西日本美術家協会」の第1回展に板倉夫妻も出品した縁であった。藤田嗣治は板倉夫妻の作品を高く評価していたようである。しかし、板倉鼎はこの年に28歳で客死し短い画業であった。又須美子も後を追うように25歳で逝去している。板倉夫妻は当時松戸に実家があったことで作品が松戸にあり、聖徳大学に所蔵されている藤田嗣治の作品とともに今回の共同企画展となったものである。本稿は藤田嗣治が評価していた作家の紹介ということで記した。参考になればと思う。今回展は、藤田嗣治の絵が7点、板倉鼎の絵が4点、須美子の絵が6点とこじんまりした展覧会であった。添付の絵は会場で撮った写真の一部として紹介するものである。 A:藤田嗣治の「春の二人の乙女」油彩1954年作。花を携えいかにも春らしい雰囲気を醸し出す絵である。今回展は出展7点とも子供の絵が中心で、いずれも乳白色に日本画的で繊細なタッチの女性の絵であった。
B:板倉鼎の「赤衣の女」油彩1929年作。この絵は、第1回仏蘭西日本美術協会展(1929年パリ)に出品された絵である。赤衣が鮮烈に反映された絵で、全体的に日本の絵の特徴である面構成を巧みにとり入れている。イスの背を前に出した構成は、独創的である。画面は身近なモチーフであるが、全体的にバランスがとれていて流石である。藤田嗣治が評価していたのもうなづけるような気がする。
C:板倉須美子の「午後、ベル・ホノルル12」油彩1927~28年頃作。この絵は仏蘭西日本美術家協会展(1929年ブリュッセル)に出品された絵である。板倉鼎の手ほどきによりパリで絵を描き始めたころの作品で、ナイーブで個性豊かなほのぼのした作品である。以上簡単に3人の画家を紹介したが、長寿を全うした藤田嗣治に対し、20歳代で夭折した板倉夫妻の画業は短いもの であったが、その死はあまりにもったいない。