「景色のない風景画」
表題は私の造語であるが、その意味するところは明らかであると思う。この表現のもとは、芥川龍之介の「話のない小説」というものであり、作家はこの意義を説き、物語性に富む虚構の作品を排し、「筋のない小説」こそ純芸術的な、美的な心境を奏でる詩的小説として高く評価した。実際にも晩年の名作とされるものにはこのような作品が多い。三島由紀夫の「金閣寺」も「話のない小説」に属する。(話なるものは、最後の数行、寺院放火、焼失の部分だけである)。
絵画については、奇抜で珍しい景色の、異国情緒に富むような風景画は、出来があまりよくなくても、その対象の特異性に助けられて、何とか絵になるということがある。逆にこのような作品は、対象の奇抜さが邪魔をして、訴えたいもの、表したいものが薄れてしまいがちである。
私は何の変哲もない、何処にも見られる、ありふれた景色を風景画の対象にしたいと思っている。 なお、「景色のない風景画」の例としては、耳を切ったあるオランダ人が描いた風景画のすべて、 とりわけ画面全体に延々と続く麦畑を描いた絵などが挙げられる。 下の図は数年前に会展に出品したもので、尖閣諸島をイメージしている。大国同志のこんな小島の領有をめぐる争いに海も空も怒っている・・。