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執筆者の写真東京黒百合会

寄稿

文楽・鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)・勧進帳の段

―人形浄瑠璃文楽 ・国立劇場  令和2年2月公演― 2/8~2/24  小石浩治


Ⅰ. すじがき-----

 兄・頼朝から疎まれ都を逃れた義経は、弁慶たち数人の家来と共に藤原秀衡を頼って奥州に向かう。

  義経が山伏に変装していることを知った頼朝は、諸国に関所を設け、山伏の詮議を行わせている。

加賀の国安宅の関(石川県小松市)の富樫之介正広も番卒に関所を通る山伏たちを捕えるよう命じる。

そこに強力姿の義経と山伏に扮する弁慶たちが通りかかる。

弁慶が、我々は東大寺再建のための勧進(寄付)を募っている山伏だと弁明すると、富樫は、ならば勧進帳意(寺社建立のための寄付金を募る趣意書)を読み上げろと迫る。

弁慶はとっさの機転で持ち合わせの巻物を開き、大仏建立の為のの諸国巡礼の趣意書を読み上げる。

なおも怪しむ富樫は、修験の法について尋ねるが、いずれも淀みなく答えていく。

やがて、弁慶の返答にすっかり感心した富樫は、寄付を与えて関所を通らせようとする。

一行が安堵したのも束の間、少し遅れて歩く義経を富樫が呼び止める。その時、弁慶は突然、金剛杖を振り上げ、“足手まといの強力め”と義経をさんざんに打ち据える。その様子に富樫は再び関所の通過を許す。

関所から離れ、浜辺に差し掛かった義経と家来たちは、弁慶の機転を褒めるが、主君を打った所業に弁慶は慚愧の涙を流す。

そこにまた富樫が追いかけてきたので、一行は身構えるが、富樫は非礼の詫びにと、酒を勧める。弁慶は大きな器に酒を注がせ、大酒を飲み干すと延年の舞を舞い始める。舞に興じながらも、義経達にそっと出立を促す弁慶。最後は弁慶の圧倒するような飛び六方(足を力強く踏みしめて歩く)、一行の後を追って幕となる。



Ⅱ. 見せ場

 ア)、富樫に「勅命ならその勧進帳を読み上げよ」と迫られた時、一瞬緊張するが、直ぐに変わらぬ態度で、笈の中の巻物(何も書いていない)を取り出して天へも響けと読み上げる。富樫は疑念を払拭できず、なおも“修験の法”を説いてみよと迫る。

「(一行達)仏徒がなぜ山伏の姿か、・頭の兜巾は、・黒い脚絆は、・草鞋は、・出入る息は、金剛杖は、・帯の太刀は、・見えぬ妖魔はいかに切るか」と次々詰問する“山伏問答”に、弁慶は淀みなく答える。

二人のやり取りが段々ヒートアップする様子は見事であり、観客も興奮、快哉を叫ぶ場面だ。

(国会で官僚の差し入れたメモを棒読みする首相や大臣達の答弁の姿とは雲泥の差がある)。

イ)、 強力たちが立去ろうとしたとき、富樫はしんがりの強力を見て「九郎判官義経に似ている」と呼び止める。弁慶は「修行の邪魔なす新米の強力め」と言って金剛杖で容赦なく強力(義経)を打ち据える。富樫は見かねて止めに入り、「それにて心中の疑い晴れ申したり。偽りならぬ先達の誠を見るその上は、鎌倉殿への恐れもなし、はやはや通行致されよ」と通行を許す。

しんがりの強力こそ<義経>と見抜いたものの、弁慶の決死の覚悟、忠義の心に胸うたれ、武士として<先達の誠を見た>富樫。―-遡れば、須磨の源平合戦で源氏の熊谷次郎直実が、戦場で平家の若武者平敦盛を逃がそうとするが拒まれ、断腸の思いで首をはねる・・(後日、直実は出家する)。

「武士の情け」に内在する「仁」は“人間の至高の徳”と「武士道」新渡戸稲造著/三笠書房 にあった。

ウ)関を離れて一服した時、皆、弁慶の機転を褒め、助かったことを喜ぶが、いかに一行の危機を救う為とはいえ、家来が主君を杖で打ち叩いた罪にうちひしがれ、これまで泣いたことのない弁慶が初めて流す涙、“一期の涙”にくれる。その手を取って慰める主君の義経。再び富樫が追ってきて、お詫びのしるしにと酒を勧める。その礼に、弁慶は舞を披露するが、それは弁慶が富樫の心情に対する感謝の舞でもある。男同士のロマンだ。舞い終ると弁慶は「・虎の尾を踏み毒蛇の口を、今ここに逃れ出でたる心地して陸奥の国へ・」と急ぎ一行の後を追う。

このとき、・人形遣い(人形の首と右手を操る主遣い、左手だけをつかう左遣い、人形の両足をつかう足遣い)による弁慶の動き、飛び六方(両足を交互に弾ませ、飛ぶように踏む)による豪快な引っ込み(舞台から去る)。

舞台右にずらりと並んだ・太夫(語り)7人の掛け合い、・太棹三味線の義太夫節による大合奏(合わせて三業と言う)が舞台を緊迫のるつぼにして締めくくる。歌舞伎の華やかさに

負けぬ人形浄瑠璃だった。




Ⅲ. 武士の情け と言へば「忠臣蔵」の話にもある。

大石内蔵助の東下りの場面。垣見五郎兵衛と名乗って京から江戸に向かって来た内蔵助ら赤穂浪士の面々は、江戸を目前にしてホッと一息ついたところ。そこへ宿屋の主人が「垣見五郎兵衛を名乗るお客様が見えてますが・・」とお伺いを立てに来る。慌てる浪士たちを次の間に下がらせ、大石は 本物の垣見五郎兵衛(禁裏御用役)と対面することになる。名前を騙られた本物の垣見は、怒り心頭で大石の部屋に行く。口論の末、通行許可証を見せろと詰め寄る。その時、大石は白紙の道中手形を出すが、畳に置いた小柄(小刀)に見覚えのある家紋が眼に入る。白紙を示す男の羽織も同じ巴紋。「もしや赤穂浪士では!」と気付いた垣見は、大石たちを無事に江戸に行かせてやりたい

と考え、「自分こそはニセモノ、これが偽の道中手形でござる。処分してくだされ」と言って大石に手渡す。堂々とお礼も言えず、大石は「武士は相見たがい。よくよく事情があってのこととお察し申す」と言ってお礼とする。大石も次の間に控えていた浪士ともども、深々と頭を下げ、感涙する。 映画や浪曲でおなじみのこのシーンは、歌舞伎「勧進帳」をヒントに拵えた話という。

能・文楽・歌舞伎は[― 歴史の古い「能」は省略の美学。観客の想像力を使う演劇。「歌舞伎」は観客を驚かせるための造りが魅力。「文楽」は太夫の語りを聞きに行くもの、太夫と三味線の掛け合いが醍醐味。歌舞伎も文楽も大衆にウケルための“いいとこ取り”なのだ-[矢内賢二氏(日本芸能・文化史研究者)]と言う。長い歴史を誇る文楽公演、太夫は顔面紅潮させ汗を拭きながらの“語り”横の三味線の部の技芸員は、勢い余って三味線の弦が切れても慌てず弦を張り直し、太夫の語りと息を合わせて人形劇・勧進帳を最高潮に盛り上げていく姿にいたく感動した。




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