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執筆者の写真東京黒百合会

寄稿

 風景との対話(2023/08)  長谷川 脩(昭42工・電子)


 入学から学部が決まるまでの教養時代、当時まだ地下鉄は通っておらず北24条行き市電の北18条で下車し教養校舎へ歩いた。その道の右側に第二農場があった。廃材を利用した牧柵で仕切られていて、奥に赤い屋根のモデルバーン(model barn)「模範的家畜房」が見えたが、入ることはできなかった。「雪国で酪農を成功させるには、何よりも動物たちの半年間の食糧と快適な牧舎が必要」という考えの基にクラーク博士が名付けたとのこと。北の大地を初めて訪れた者にとって、エルムの森やポプラ並木と同様にとても新鮮に感じられる風景で、白一色になる冬の光景は独特の雰囲気を持っていた。

「モデルバーン1」水彩 F4 第1回東京黒百合小品展 2017/04


 黒百合会に入会した当時、顧問教官は堀江悟郎先生だったが卒業後に八鍬利郎先生に代わった。八鍬先生の「北大構内スケッチ」(図書刊行会1992/02発行)にモデルバーンの頁がある。そこに「サイロを含む建物九棟は昭和44年に国の重要文化財に指定され、現在は北大事務局によって管理保存されている」と説明が載っていた。ここに掲載されている絵「早春の旧第二農場」(油彩、F50)が平成20年(2008)に開かれた黒百合会100周年記念展の歴史展コーナーに出展されていた。見たことのない敷地の中の様子で、特に目を奪われたのは、手前に描かれている池の存在だった。これは何なのだろうと思った。早春の情景だけに、手前のエルムや他の樹木に若葉は無く、奥の穀物庫や収穫室などの施設が見通し良く描かれている。この絵のような池とその奥の風景が現在も学内に存在するのだろうか、という疑問はそれからもしばらく解けなかった。

 平成29年(2017)にHome Coming Dayに参加した。この時、耐震設計が完了して一般公開されたモデルバーンを訪ねることができた。初めてサイロを含む建物九棟の全てを見て回り、管理棟の横にある池の存在もはっきり確認できた。藻岩にある浄水場の「ろ過池の放流水」を活用しているサクシュコトニ川とは異なり、学内に唯一残る純然とした湧水池だということも判った。池の横のエルムの巨樹は八鍬先生の絵のとおり大きくしっかり根を下ろしていた。それまで分からなかった事が全て腑に落ちた。9月末だったので、早めに色づいた葉が根元や池に落ちていた。この周辺には巨樹も多く、古く重厚な建物群をゆっくり見て回る散策では時間を忘れていた。卒業から50年が過ぎていたが、入学当初に感じたように、その風景は鮮やかに映った。実際にその場に立ってみると、いつまでも味わっていたい離れ難い気分だった。

「モデルバーン」油彩 P20 第60回東京黒百合展 2022/09


 東山魁夷は自著「風景との対話」で「作品の強さは、決して色調とか構図とか描き方にあるのではなく、その画面の中に籠る作者の心の強さにある」と述べている。しかし、いざ描く立場になって手前の池に写し込まれている空や樹々と屋根の色を見ていると、明るさの変化は複雑で、思わず立つ位置を左右、上下に移し、どの視点が絵に多くの特長を取り込めるかを探していた。そして、2本のエルムの巨樹から池に傾斜する斜面を見上げる状態で、後方の芝生面がわずかに見える地点がベストだと選んだ。最後に筆を入れたのは池に落ちたエルムの葉で、沈んでいる葉を先に、浮いている葉を後から描いて水面の上にその色彩を重ねた。

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