風景との対話 (北大東京同窓会報・「フロンテイァ」No62 023/2 より)
☆☆☆☆ 3年ぶりの東京黒百合展 ☆☆☆☆ 木綿弘子
一昨年度はコロナ禍で中止になっていた東京黒百合展が、昨年3年ぶりに開催されました。
幸いコロナも減少し、気持ちのいい秋晴れの中、銀座の画廊で懐かしい人達と顔を合せることが出来ました。絵は描いて、発表して、人にみてもらって完成 とよく言われますが、今回ほど発表することの大切さを実感したことはありません。広い会場でみると、自分の絵の良し悪しは一目瞭然。自己満足に浸っているわけにはいきません。絵を描くことは独りで黙々とする作業なので、うってつけのひまつぶし(?)です。でも仲間があってのこと、その楽しみは何倍にも膨らむのだと、再認識した次第です。 コロナ1年目はまだこんなに長引くとは思わず、 ①「待つ」という絵を、2年目はなかなか収束しないやり場のない気持ちを ②「何処へ」という絵にこめました。どちらも大切な青春の時間を、奪われた若い人に思いを馳せ、描きました。
3年目には、ウクライナ戦争も激しさを増し、北朝鮮のミサイル発射など、不穏な社会情勢の中、③「ヒロシマの青春」を描きました。広島は私の生まれ故郷です。一昨年、広島の老人ホームに入居中の母(93歳)に1歳になる曾孫を見せに、これも3年振りに訪問しました。たった15分の面会時間でしたが、幼い曾孫を見た時の、母の満面の笑顔が忘れられません。
当たり前のことが当たり前でなくなるこのような時代に遭遇しようとは思いもよりませんでした。しかし、今までも人類は何度かのパンデミックを乗り越え、戦争を経験し、その時代を生きてきたのだと思うと、命を繋いでいくことの大切さ、難しさをひしひしと感じます。
穏やかな春が訪れますように。
①「待つ」
②「何処へ」
③「ヒロシマの青春」
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