海面下に住む(オランダ) 会津光晨
――北大東京同窓会報「FRONTIER」2022/8・No.61 (風景との対話)から転載――
空路、スキポール空港に近づくと水路に囲まれた緑と黄色のパッチワークが眼下に見えてくる。オランダの国土は九州とほぼ同じ、人口は約1,755万人(2021年)。国土の26%が海面下にある。オランダは低地(ネーデルランド)につくられた国である。湿地帯に水路をつくり、水を風車で高い堤防の外に汲み上げて抜き、干拓地を造り上げてきた。埋立てではなく水を抜いた干拓地のため多くの海面下の土地が生まれた。
幼いころに読んだ本に「堤防に小さな穴があいているのを見つけた少年が命をかけ自分の腕で堤防の穴をふさいだ」という話があり、海面下の町の恐怖を空想した記憶がある。これはアメリカの女流作家が書いた児童向け物語だったらしい。
オランダ西部では内側に緑の自然地帯を抱え込むようにして環状都市圏が形成されている。首都アムステルダムから列車で市街地を過ぎるとすぐに平らな牧草地や畑の風景が広がり、運河が空間を区切る。20分もすると新たな町に入り、抜けると、また平らな田園風景となる。
司馬遼太郎は「オランダ紀行」で同行者の夫人ティルさんが「オランダの画家の多くは、空を描きます。景色といえば八十パーセントが空ですから。」と話したエピソードを紹介しているが、17世紀オランダの画家ロイスダール等の絵を思い出す。20世紀の画家モンドリアンや建築家のリーフェルト達の直線的な抽象主義(デ・スティル運動)は網目模様のオランダの土地の影響があるのだろう。
アムステルダムの町は狭い間口の、高さが揃った建物が運河の両側に建ち並ぶ。建物の下には木杭がぎっしりと打ち込まれているという。少し傾いた建物もあるようだが、現在も修復しながら使われている。
アムステルダム中央駅前から運河ツアーの船が出ている。船は幾つもの橋をくぐり、心地良く曲がる川筋(黄金のカーブ)を進む。所々に水上生活者のハウス・ボートが係留されている。水上に住む権利を持ち水道やガスもあるらしい。
1600年に日本に漂着したオランダ船の乗組員、ウィリアム・アダムスやヤン・ヨーステンは家康に厚遇された。半円形運河で構成されたアムステルダムの街は江戸の街づくりにも影響を与えたように思える。
〈*この寄稿文は今回のコロナ禍以前に旅した記録を元にしている。〉
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