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北大ポプラ並木 (2026.07) 小石浩治
1.旅・心の風景 「北大ポプラ並木」 森田美由紀 (朝日新聞 1999年2月4日 夕刊より)
北大のポプラ並木は有名だが、期待外れの札幌の観光名所と、時計台と並んで評判は今一つである。
実際、並木というには、本数はそう多くなく、何本かは風雪に耐えきれずに倒れ、櫛の歯が欠けたような姿は、もの寂しささえ感じる。しかし冬のある日、偶然、全く違った角度から目にしたポプラは、もの寂しさとは程遠い力強い姿だった。
爽やかな気候と豊かな緑や花を求め、夏に北海道を訪れる人が多いが、北国がその魅力を最も発揮するのは冬である。白い雪が余計なものを覆い隠し、普段は見えない特質を浮かび上がらせるからだろう。
二十年前の北大の入試の日も、試験時間が繰下げになるほどの大雪だった。間断なく降る雪が、あらゆる音を吸収してしまう静寂。一面の銀世界にナナカマドの赤い実。
広いという以外、特別な印象のなかったキャンパスの幻想的な景色を見て、どうしてもここの学生になりたいという思いが、試験の直前になってわき上がってきた。しかし当時の本命は別で、半ば運試しのつもりで受験に来た実力で、そう簡単に思いが叶うはずはなかった。結局、翌年、スタートしたばかりの共通一次試験の洗礼を受けて、ようやくあこがれのキャンパスに迎えられた。
それから四年間、時間があれば地下鉄の三駅にまたがるキャンパスを隅々まで歩いた。四季折々、気に入りの場所がいくつもできたが、その中にポプラ並木は入っていなかった。
だからある冬の日、夕日が見たくて忍び込んだ農場の、広大な雪原の向こう側に凛とそびえ立つ姿は新鮮な驚きだった。
葉が落ち枝と幹だけの老木の一群。しかし、赤い夕日を背に、雪原に浮かび上ったシルエットは、決して倒れまいと踏ん張り、空を見上げる、誇り高い姿だった。新天地に根ざそうと、自然と闘い続けてきた開拓者の静かな強さが、そこに感じられる気がした。
あの冬の日から長い年月が過ぎ、倒れてしまった木もあるかもしれない。最近はキャンパスのもっと北にある並木が、北大のポプラとして人気だと聞いている。
しかし、元祖ポプラ並木は、そんな変化に動じることなく、一つ一つ冬を乗り越え、いつまでもあの農場に根を張っていて欲しい。

写真撮影・上田頴人
注;森田美由紀―1983年(昭和58年)北大文(英)卒 NHK札幌放送局に入局
2.農場とポプラ並木?八鍬利郎 (「北大風景スケッチ」2016年北大出版会刊より )

北8条から北24条に至る北大8キャンパスの西側およそ四分の一は第一農場の敷地で、主
にフィールドにおける実験や実習に用いられてきたが、地域の緑地帯としても重要な役割を果たしている。北大農場が創設されたのは明治九年で初代の農場長はかのクラーク博士であった。
戦前は学外の小作農場を含めて第八農場まであり、農学に関する先駆的研究が行われ、我が国農業の発展に大きく寄与してきたことはよく知られている。現在はキャンパス内の試験農場のほかは、余市町に約六ヘクタールの余市果樹園を有するのみである。農場の一角、北11条西10丁目に有名なポプラ並木があり、夏には観光客の姿が絶えない。ポプラ並木は明治四十五年四年生の苗木を植えたのが始まりといわれる。
30メートルに近い巨木が直立して二列に並ぶたくましい姿は周囲の広大な農場とともに北海道を代表する風景の一つに違いない。この有名なポプラ並木にも二度にわたる存続の危機があった。しかし、市民から出された再生への強い要望に応えて幼木を補植し美しい並木にもどりつつある。
平成12年、北大観光スポットのナンバーワンであるポプラ並木の老朽化により、これに代わる新しいポプラ並木がつくられることになった。北大創基125周年記念事業の一環として植樹された平成ポプラ並木で、若木は旧ポプラから挿し木で増やしたものである。北大農場内にあるポプラ並木より500メートルほど北寄りに、正面に手稲山を望み東西に延びている。
注:八鍬利郎―北大農学部名誉教授 「黒百合会」顧問教官 札幌くろゆり会会員
2015年没
3.三岸好太郎の札幌 「一枚の絵」2005年8月号 ― 文・大竹昭子(文筆家)
雑誌「一枚の絵」 に「三岸好太郎と節子」と題し、三岸好太郎美術館(札幌)を訪ねた時の様子が綴られていたので、ごく一部ですが抜粋して紹介します。
―1902年4月北海道ルーラン16番地〈石狩市にある断崖絶壁の続く海岸線〉に生まれた。九歳のとき、父が質屋の管理人を任されて駅の北側に引っ越した。北大周辺が遊び場になる。
―学校が嫌いで・・・第二農場のうす暗い樹陰で独り短篇物等を読みふける-----中学校では美術クラブに入り、友人と学外での展覧会も企画した。北大で教えていた有島武郎がイー
ゼルを立てて写生している姿を見たこともあった。彼の関わる北大美術部「黒百合会」の活動も活発で、美術への関心が盛り上がっていた。-----好太郎の描く絵には、その開拓者の
精神がでている。だからロマンチックでもたくましい。

「北大のポプラ並木」油彩 1932 三岸好太郎




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