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寄贈の旅 中(2026.07) 長谷川 脩
「寄贈の旅」と名付けた今回の旅は、創基150周年を迎える北大を祝うとともに、絵の寄贈と、会報への記事転載を快く承諾してくださった文書館へのお礼を目的としたものである。同時に、今後、北海道を訪れることは、それ程多くないだろうという思いもあった。そこで、これまで訪ねたことのない場所や、かつての思い出がよみがえる場所を組み合わせて旅程を組んだ。
最初に帯広に降り立ち、十勝バスで中札内へ向かった。そこから約1.2kmの場所にある「六花の森」へ、レンタサイクルとヘルメットを借りて向かった。
目的は、Spring ephemeral(春の妖精)と呼ばれるオオバナノエンレイソウの群落を見ることだった。北大植物園に自生地があるが、立ち入り禁止区域であり、規模もそれほど大きくない。六花の森では、群落を見るには時期的に少し早く、咲いている数も多くはなかった。それでも、陽光の下、川辺に真っ白な花を咲かせる清楚な姿を目にすることができた。豊かな水が欠かせない植物であることが、実際に見てよく分かった。生命力が強く、良く繁茂するとのことで、庭内を一面に埋め尽くす頃は、さぞ見事だろうと想像した。北大の水源は植物園の湧き水であった。しかし現在では、池の水は地下水を汲み上げて使用しており、構内のサクシュコトニ川は、水道水の浄化後の水を利用している。かつての豊かな水源は、今はほとんど枯れてしまい、わずかに第二農場の事務所の横の池が湧水で満たされているだけである。



六花の森のオオバナノエンレイソウ
「春の妖精」とは「春のはかないもの」「春の短い命」といった意味で、春先に花を咲かせ、夏まで葉をつけた後は地下で過ごす一連の草花の総称だという。北大の徽章マークはエンレイソウを基にしているが、「春の妖精」という意味は込められていない。創基120周年(2002)に修正が加えられ、花弁とがく片とで構成された六方(東・西・南・北・天・地)への広がりが、日本や世界へ向けて大学からの情報発信する姿を現しているとのことである。
この後、坂本直行の作品を収めた美術館を巡った。直行絶筆館、伯林、直行デッサン館、坂本直行記念館、直行山岳館、ドネーター作品館、花柄包装紙館、サイロ歴史館、直行山岳館と、八つの建物が点在している。
六花亭の創業者・小田豊四郎は、北海道を代表する菓子店になるようにとの願いを込めて、社名に雪の結晶を表す「六花(ろっか)」を採用した。十勝六花(エゾリュウキンカ、エゾリンドウ、オオバナノエンレイソウ、カタクリ、シラネアオイ、ハマナス)を象徴し、10万㎡の広大な「六花の森」は、季節ごとにこれらの花々で彩られる。その中にクロアチアの古い民家を移築した八つの建物が点在し、いずれも直行に関連する作品を収蔵・展示する美術館となっている。

奥に見える建屋・花柄包装紙館、手前ミズバショウ
昭和35年(1960)創刊の児童詩誌「サイロ」の表紙を、小田は直行に依頼した。以来、月1回の発行が60年以上になる。直行の後は、真野正美(中札内村在住)がその仕事を引き継ぎ、現在に至っている。サイロ歴史館には、その歩みがまとめられ、サイロ表紙絵館に創刊号からの全巻と原画が残されていた。また、六花亭の包装紙も直行に依頼され、六花亭の代名詞ともいえる花柄の包装紙が生まれた。直行の包装紙には23種の山野草が描かれており、そのうち十勝六花が「六花の森」のコンセプトになって、園内を季節ごとに彩っている。「サイロ」の表紙と花柄包装紙を通じて深まった小田と直行のつながりは、六花の森の中に点在する趣きある建屋に、直行の作品を収蔵・展示するという形で結実ししている。小田の「恩返し」の思いが、見事に形とんっていると感じた。直行絶筆館には、最期に描かれた未完の風景画「原野の柏林と日高山脈」がイーゼルに立てられたまま公開されている。柏林は2023年1月、NHKEテレ「日曜美術館」でも紹介された作品で、その作品のためだけの特別な展示棟になっていた。

直行絶筆館の「原野の伯林と日高山脈」
「伯林」についての説明は無かったが、特定の山や固有名ではなく、坂本直行が自らの作品に用いた造形的な表現で、白く輝く林(白林)、すなわち雪に覆われた樹林帯を意味すると考えられる。この作品のためだけの建屋であることからも、その位置づけの特別さが伝わってくる。
直行デッサン館には、小学生の頃から山に登り、山と草木のスケッチをした風景画や植物画が展示されている。坂本直行記念館には直行の代表作が並び、画業の全体像をたどることができた。
ドネーター作品館には、展覧会で購入した作品や、坂本から譲り受けた作品が、16名の方々から六花の森に寄贈され、展示されていた。花柄包装紙館には、道内のどこでも見かける六花亭の花柄包装紙の原画が飾られ、壁と天井一面に包装紙が貼られていた。

花柄包装紙の原画
直行山岳館には、著書「原野から見た山」にある北海道の山々、特に日高山脈が取り上げられている。これらの施設群全体から、直行の膨大な作品群を網羅しようとする小田豊四郎の思いと、二人の長く深い交流がにじみ出ていた。一人の画家の成果を、このような形で残すことは、並大抵のことではない。それだけ直行は小田の要請に真摯に応え、それが六花亭の発展にもつながり、さらに「六花の森」という場として見事に花開いたのだと感じた。

園内を流れる清流
翌朝、宿の朝食は取らず、早めに札幌に向かった。十勝平野を特急「とかち」で3時間弱。荷物をコインロッカーに預け、地下鉄で終点の真駒内へ。そこからバスで15分、札幌芸術の森に向かった。昭和61年(1986)札幌芸術の森に移築された「有島武郎旧邸」を見るためである。

有島武郎旧邸
入学するまで、有島武郎のことは殆ど何も知らなかった。油絵を学びたい一心で美術クラブに入会すると、そこが黒百合会であった。このご縁は卒業後も続き、今に至っている。このクラブのおかげでどれほど豊かな時間を持つことができたか計り知れない。有島が「我が真生命の生まれし故郷ハ実ニ札幌なりき」と書き残した感覚に、どこか通じるものが自分の中にも残っている。その多くが黒百合会での活動から生まれてきたものだ。
入口を入ると、受付の女性から靴を脱いで上がるように促され、簡単な説明を受けた。当時としては進んだ間取りと窓の造りで、自邸の建設に際し、自ら積極的に構想・設計に関わったと言われている。そのこだわりが、家の随所に表われていた。モダンでセンスにあふれた間取りや構造は、見ているだけで興味深く楽しい。有島が建築の過程で感じていたであろう高揚感が、今も空間に漂っているように思えた。
2階に上がるとチルダ・ヘック関連のパネルがあった。彼女が来日した際、この家に泊まったと書かれていた。星座の会の招きで札幌まで足を延ばし、この家にたどり着いた時、彼女がどれほど有島を身近に感じたであろうかと想像した。。

ティルダ・ヘック肖像(複製)、アルフレッド・コルブ画
シャフハウゼン市立万聖博物館所蔵

北大有島寮だった頃の写真

周囲に咲いていたカタクリ
昭和34~58年には、この建物が北大の有島寮(東区北28東3)として使用されたことがあった。その頃の外観写真も展示されていたが、現在のような外壁の塗装は施されていない。
移築された現在の周囲の林には、カタクリの花が咲いていた。時期になれば黒百合も咲くのだろうかと一瞬思った。もしそうなれば、有島もきっと喜ぶのではないかと感じながら、次に目的地である北大に向かった。もう一つのSpring ephemeral(春の妖精)である、北大の黒百合群生地を再訪すること。そして、文書館を訪ね、寄贈の件と、現在の会報に150周年に関する記事を掲載させていただいていることへのお礼を伝えることが、目的であった。
花木園のクロユリは、ほとんど咲いていなかった。六花の森でも見ることはできなかったので、ある程度覚悟はしていたが、やはり今回は縁がなかったようだ。時期を読み違えたのだろう。
黒百合会創立100周年の時(2008年)、3年の準備期間を経て植え付けられた700個の球根が、記念展の年の春、見事に開花していた。

100周年時の花木園のクロユリ群落
その後、ウィルスやハムシの発生などにより、株数は4割まで減少した。しかし、学生や関係者の積極的な努力により、病変株の処理や土壌改善が行われ、回復に向かっている。在学中、黒百合会に所属してはいたものの、クロユリの花や群生を目にする機会はなかった。卒業後40年を経て、2008年に初めて群落を見た時は、本当に感動した。維持・管理の作業は大変だと思うが、これからも訪れる人々に、この花の魅力を長く伝えていってほしいと願っている。
残念な気持ちを抱きつつ花木園を後にし、今回の旅の一番の目的である文書館へのお礼に向かった。クラーク会館の右隣に文書館が建設されたのは2005年5月である。北大に関する歴史的な公文書及び各種資料を収集・整理・保存し、調査研究を行ない、展示・公開している。その後、2017年4月には公文書室と沿革資料室が設置された。創基150周年に際しては、「北海道大学150年史」の編集室も設けられている。

クラーク会館横の北大文書館の外観

1階展示室
在学中には存在しなかったこの文書館に、絵の寄贈と150年史編集ニュースの会報掲載でお世話になった山本美穂子さんと廣瀬公彦さんを訪ねた。事前に連絡をしていたので、廣瀬さんがすぐ出てきてくださった。山本さんは急な出張で不在だったのが残念であった。
玄関を入ると、正面の展示ホールに、時計台、エルムの森、恵迪寮などを織り交ぜながら、この150年の間に約20万の学生が刻んできた足跡が、時代ごとに展示されていた。
1階のホールを囲むように設けられた2階の廊下部分にも展示があり、旧工学部や旧第2農場の資料が掛けられていた。そこに、寄贈した絵のうち「懐かしの白亜館」と「モデルバーン」が展示されていた。

「懐かしの白亜館」の前で廣瀬氏

「モデルバーン」
廣瀬さんからは、「展示しているものが説明文や白黒の写真が多いので、そこに油絵があるとアクセントになります」との言葉をいただいた。2018年4月から150年史編集室として活動を開始し、大学沿革史の編集、年表の作成・公開、写真の整理・公開、北大の歴史に関わる特別展示の企画、編集事業の活動報告・広報をなどを担ってきたとのことである。その成果として、150年史は通説編2冊、資料編4冊、さらに「写真集 北大150年」やブックレット「北大生と北大150年」などがスタッフ10名で制作されてきた。これらの刊行物は、廣瀬さんの提案もあり、今年の東京黒百合会でも展示し、会員や来場者に広く見ていただく予定である。東京黒百合会としても、創基150年にふさわしい、盛り上がりのある展示会にしたいという気持ちを新たにして、文書館を後にした。




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