植物学者:牧野富太郎の植物記念展―高知県立植物園の資料より
( 牧野富太郎生誕160年―練馬区立牧野記念庭園 ・牧野記念庭園情報サイトから)
小石浩治
Ⅰ. 牧野富太郎の生まれた時代は、嘉永6(1853年)アメリカの使節・ペリー来航に始まる幕末の動乱の時代。坂本竜馬が土佐藩脱藩、寺田屋事件、生麦事件等があり、まさに日本の夜明けの年でもあった。
――牧野富太郎生誕160年記念企画展から牧野博士の生涯を振り返ると--------
生い立ち:1862年高知県佐川町の酒造行を営む裕福な商家に生れた。
幼名を成太郎と名づけられた。しかし3歳で父、5歳で母が病死、6歳の時、祖父も亡くす。この頃、富太郎と改名、身体が弱かった富太郎は祖母浪子によって大切に育てられる。
少年期:佐川での生活に飽き足らず、17歳で現在の高知市へ行き、高知中学の教師・長沼小一郎に出会い、科学としての植物学を教えられる。意欲に燃えた富太郎は第2回内国勧業博覧会見物と顕微鏡や書籍を買う為、1881年19歳の時、初めて上京。
青年期:富太郎は本格的な植物学を志し、1884年再び上京する。
東京帝国大学理学部植物学教室に出入りを許され、大学で書籍や標本を使って植物研究に
没頭した。当時、日本の研究者は海外に植物を送り“同定”※してもらった。
(※: 生物の分類上の所属や種名を決定すること)
富太郎も東アジア植物研究の第一人者であったロシアの学者に標本と図を送ったところ、
その図を絶賛する返事をもらっている。天性の描写力・描画力に恵まれていた。
壮年期:1881年「日本植物志図編」を自費出版。次々と新種の発表をするなど目覚ましい
1884年には東京帝国大学理学部植物学教室(矢田部良吉教授)に出入りする。
活躍をする一方、研究費を湯水のごとく使い、富太郎の実家の経営は傾く。
1890年28歳の時、小沢寿衛子と結婚、大学至近の根岸に一家を構えた。
1891年富太郎は家財整理のため佐川へと帰郷する。
高知で写生や植物採集に励むうち、免職した矢田部教授に代わった松村任三教授から
1893年31歳の時、帝大理科大学助手として招かれることになった。
晩 年:1926年現練馬区立・牧野富太郎記念庭園に居を構える。1927年周囲の勧めもあり富太郎は理学博士の学位を授与される。同年に発見した新種の笹に翌年死去した妻の
名をとって「スエコ笹」と名付けた。最後まで講師のまま47年間勤めた大学に辞表を提出し、1939年退官する。1940年研究の集大成「牧野日本植物図鑑」を刊行。
大学を辞めてからはこれまで以上に植物への情熱を注ぎ、全国各地を飛び回る。
1957年(昭和32年)94歳の生涯を終える。(―「牧野記念庭園情報サイト」より)
「雑草という植物はない」とは博士の名言。新種・新品種等約1500種類の植物を命名し、
日本植物分類学の基礎を築いた一人である。
反面、富太郎は植物研究の情熱が旺盛なため、時として周囲の人々に多大な迷惑をかけた
こともあったようだ。ある時、尾瀬で植物採集した際にあまり植物を採ったため、尾瀬の
保護運動にかかわる人から、「研究するだけでなく保護を考えろ」と叱られたと言う
エピソードがあるほどだった。
Ⅱ. 植物図
牧野博士は94年の生涯で1700点もの植物画を描き残している。近代医学が発達する以前は、薬イコール植物。薬物の研究には植物を見分ける必要があり、精密さが求められた。
博士の植物図の殆どは、ネズミの毛と言われる穂先が極めて細い蒔鉛筆や面相筆で描いて
いる。 実際の色を出せる絵の具が日本になかったので、英国製ウインザーニュートンの
絵の具を使用した。植物図を自費で出版した時も、自分の思うように印刷できないから
「自分で印刷の技術を覚える」発想に至る。東京の神田の印刷工場で、石版印刷技術を
一年程学ぶ。そのため図の製版に関しては妥協を許さず、描画の校正にも力を注ぎ、
植物の正確な描写、忠実な記録に徹した。
(平凡社)「牧野富太郎博士の人生図鑑」編から
キョウチクトウ
ソケイノウゼン
ジョウロウホトトギス
ヒメアジサイ
Ⅲ. 「人間 生きている間が花」
31歳で矢田部教授退任後の松村任三教授に呼び戻される形で助手になったが、その時は
生家は完全に没落していた。助手の月給で一家を養っていた。
金銭感覚に乏しく学歴を持たず、権威を理解しない牧野に対して、学内からも何度か
圧力があったらしいが、富太郎は各地で採集しながら植物の研究、標本作りに没頭する。
妻の寿衛子は子供たちに対し、「我が家の貧乏は学問のための貧乏であるので、「恥じることはない」と言い聞かせていたとか。それでも富太郎は研究のために必要と思った書籍は
高価なものでも購入していたので多額の借金を作り家賃が払えず、家財道具を競売に
かけられたこともあった。(注)牧野富太郎博士をモデルに「NHK/朝ドラ」。本年・春に
放送予定。長田育恵作「らんまん」。
主演::神木隆之介(富太郎役)浜辺美波(壽衛子役)
富太郎が後年、妻・壽衛子に次の様な歌を捧げている。
“家守りし妻の恵みや我が学び、世の中のあらん限りやスエコ笹”
寿衛子笹 (イネ科 アズマザサ属)
宮城県以北に見られる常緑の笹。
高さ40cm 葉の長さ10cm 程度。
富太郎が仙台で発見、富太郎を支え続けた妻?寿衛子に感謝して献名した。
現在ではアズマザサの変種となっている。
本展は牧野文庫の資料を展示されているもので、これらの資料は、牧野博士
没後、郷里・高知県に寄贈され牧野文庫となり、同文庫が大切に守られてきたものである。
会場は、1926年に当時野趣豊かであった大泉の地に居を構え、1957年に生涯を終えるまで
自邸の庭を「我が植物園」として大切にした。
牧野富太郎博士像(高知県立牧野記念公園)
右手に持つのは「カラカサタケ・唐笠茸」(下写真)
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