top of page
執筆者の写真東京黒百合会

投稿

面構 片岡球子展 たちむかう絵画

(横浜・そごう美術館 2023年1月1日~29日)  小石浩治


 片岡球子は1905年(明治38年)札幌市生まれ。2008年(平成20年)103歳歿。

 女子美大日本画科在学時代、郷里札幌の両親が薦める結婚を断り、画家として身を立てる決意で絵を描き続け、横浜で小学校の先生として奉職する。六畳一間の下宿からのスタート

であった。当時、故郷に錦を飾る早道は文部省主催の全国規模の帝展への入選である。

初め帝展で落選を重ね、院展に移ってからの昭和5年、「枇杷」下図で初入選を果たすが、昭和14年「緑陰」が入選するまでは、その間、一度入選したきりで、出品しても出品しても落選を繰り返した。 大正に3年に日本美術院が再興して以来、院展の入選は厳選をもって知られていた。大観や鞍彦、青邨、古径そして御舟らのそうそうたる先輩をようする在野団体としてその芸術運動の方向性を見定めての厳しい選抜で、入選1,5% 534点中わずか8点という年もあった。



 球子自身、「実にまる七年間、私の落選は延々と続いた」と語っており、展覧会間近に球子に会うと縁起が悪いとまで言われ、落選の神様とあだ名されるようになる。思いあまって相談した院の先輩中島清之には、「もし僕が君の絵に意見を言ったり、手を入れたらもう君独自の絵は描けなくなる」と言われ、小林古径からは、「今のあなたの絵はゲテモノに違いないが、ゲテモノと本物は紙一重の差だ、たとえゲテモノと言われても何年かかってもあなたの絵を何処までも描いてゆけ・」と諭される。

 球子は美しく描くことが全てではないと信じ、自身の信念に従った創作を続ける。

 つまるところ、自分で自分の道を切り開くしかないことに気付かされた。院の先輩たちは

後輩個々の特質を見定めてその伸展を長い時間をかけて見守ってくれた。やがて「面 構」

シリーズにより大輪の花を咲かせた。―――(日本美術院―「院展百年の名画」小学館刊)

球子の言葉に「面構」は単に歴史上の人物の肖像ではない。人間の魂を描きたいのですと取組んだ作品である。綿密に取材・推敲を重ね確信をもって血肉ある人間に仕立てた(―美術館談)。



北斎83歳自画像(83歳八衛門・自筆),北斎自画像入りの返信文(北斎展・画集から)


「葛飾北斎翁之像」(気力青年の如く百歳の余も生きぬべしー明治の考証家・関根只誠)


「面構 葛飾北斎氏」1971年 片岡球子


「面構」作品は 「足利義満」 1966年 「足利尊氏」1966年 「安藤広重」1973年

「雪舟」1996年 等々 38年間(1966-2104)に44点を描いた。

“面構えは顔だけを描いているだけではなく、その人間が現代に生きていたならどんな風に

役立つか・・など、思いながら描いています“



          足利尊氏                  


  雪舟



        安藤広重


浮世絵研究家鈴木重三先生と浮世絵師歌川国芳

閲覧数:9回0件のコメント

最新記事

すべて表示

投稿

投稿

Comentarios


bottom of page