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執筆者の写真東京黒百合会

寄 稿


 水絵(水彩画)の白と黒 の効果

本棚に眠る“アサヒグラフ1985”[美術特集・中西利雄] を読み直す―― 小石浩治


 [ 中西利雄 1900~1948 48歳歿。24歳日本水彩画会会員、29歳渡仏、欧州旅行、帰国後、水彩画振興に尽力、33歳時光風会会員なるも36歳時脱退。以後、各地で個展を開催した。]

――彼の言う水絵の世界を生きようとした意識的な動因は、水絵をもって、油彩よりも格が落ちるとみなしている洋画界の通念への反発、抵抗に基いていたのであって、水で溶くのと、油で溶くのとで差をつける不条理に、この画家は黙していられなかった。

~私(中西)は絵画研究の方法として、水絵の具という材料に一から十まで執着する必要は全くないと悟った。~水絵だけの描き方より、まず、絵画それ自体を、絵画的精神の真髄を、そして真に絵画することの意味を学び取ることが何よりも重要であることを察した“・・・

・・中西利雄著「水絵-技法と随想」)―――匠 秀夫(「中西利雄の芸術」・美術評論家)。

下図「優駿出場」は、欧州から帰国後、第15回帝展で水絵(水彩画)による特撰を受賞した作品。「動きのある簡潔な描写、明快なフォルム、鮮明な色彩による強い表現力で、油絵に劣らない力量が示されている」と匠氏は話す。 一般に水彩絵の具でこの景色を描く時、パドック馬道の「白い柵」を残して芝生の緑を描く。ところが、下図は、芝生を描いた後、絵の具の白をたっぷり筆につけて緑の芝に遠慮せず、一気に白い柵の直線を描き加える。

中景の建物、手前の騎手のジャケットも白で描く。もう一つは、人物を「黒」の輪郭で表していることだ。したがって赤・白・黄の騎手服が一層目立ち、人馬を立体的に、且つ画面を明るくしている。水彩絵の具は乾いても水に濡れると流れ落ちるが、アクリル絵の具は乾くと水分が飛んだ状態になり、水に濡れても流れ落ちない、しかも乾燥が早い性質を持つ。

おまけに、発色が良いとなると、従来の水彩画を離れ、アクリルに転向するのがよくわかる。

「優駿出場」1934(昭9年)作 (第15回帝展)(英・布製水性キャンバス50号か。)


         「花」1932年

「花」・昭7年の、花の椅子に敷かれた黒の碁盤模様の花瓶台、赤・白の花、全て背景・椅子等を描いた後に画き添えたものと考えられる。ここまでくれば、もはや水彩ではなくアクリル画である。


         「花」1932年 「札幌の夏」(北大構内)1939年

「札幌の夏」(北大構内)昭14年作は、札幌で開催された水彩画講習会の講師として当地を訪れた時のスケッチ。北大構内の緑の中の白い建物(昆虫学・養蚕学教室)に、ヨーロッパを思わせる雰囲気が、中西の滞欧経験を呼び覚ましたのかもしれない。


    「彫刻と女」91×117cm1939・昭14年 39歳時の作品。


画家・中西利雄は、滞欧中にも独自の表現方法をモノにしていたようで、幾つかの作品には、透明画法と不透明画法の混用を採用し彩色に工夫を凝らした。先日、試しに上の図を手本に手元の絵の具で描き写してみた。下図左は、普通の水彩画タッチで描いたが、女性の黒の輪郭、着物の黄色が全く映えない。右は最初の絵の背景を更に暗くして彫刻部分は画用紙の白を生かし、同じ絵の具で人物・着物の模様(バラ)の黒を、何度も重ね塗りしてみたが、それ以上の発色効果は得られなかった。やはり、中西の黒い線、白い線は、これまでの浮世絵版画や日本画に見る優美な黒の線に対して、全く違った演出ができることを世間に知らしめたものなのだ。

約40年前の雑誌だが、中西は「水絵」(水彩画)の近代的改革者と言われる由縁であることを実感した。


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