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  • 執筆者の写真東京黒百合会

寄 稿


ロシア・歴史絵画展覧会の思い出

    小石浩治


Ⅰ.28年前(平成6),東急文化村で“ロシア近代絵画の至宝”と題し、トレチャコフ美術館展

が開催された。展覧会は20世紀初頭のロシア近代絵画の流れを移動展派※の作品を中心に公開されたもので、レーピン(1844-1930)等 巨匠の作品を中心に会場を埋めた。

※ 移動展派=官立美術アカデミーの制約に抗議したロシア・リアリズム美術画家集団のこと。

作品の多くは1861年農奴制度変革後の民衆の暮らし、ロシア社会の現実、ロシアの大地、

ロシアの悲劇、理想に燃える当時の知識人・・と多彩であった。

「ヴォルガの船曳き」1870

ご存じ民謡「ヴォルガの船引き歌」を歌う彼らは奴隷ではなく、川の上流に向かって帆船を引いていく季節労働者であった。低賃金だが歌いながら気分を盛り上げたのだ。

蒸気船の出現で、ソ連政府は1929年に船曳を廃止した。

“レーピンは、生活に打ちひしがれ、ボロを着た船曳の中に、卓越した性格を見い出し、苦しむだけでなく、尊敬に値する勇敢な人々の姿を見た。この作品からロシア絵画は民衆のテーマが定着し始めた“ (ガリーナ・チュラーク=トレチャコフ美術館・美術部長)。

レーピン作をもう一つ。

「作家L.N.トルストイの肖像」水彩1901年

30年にわたってトルストイと親交のあったレーピンは、トルストイのクロッキーを何枚も描いた。1901年と記入した水彩画は、トルストイを教会から破門すると言う1901年2月22日“宗教院”※ 決議後、間もなく描かれたものという。

移動展に出品したトルストイの肖像画の前で、観客は宗教院決定に対する抗議の印として、花束を捧げたという。

※ 宗教院=国家機関がロシア正教会を管理する体制。トルストイは教会も国家権力と癒着していると批判した。


Ⅱ. ロシアの過去の出来事、民族の歴史への関心は、19世紀後半のロシア文化の重要な側面であった。民謡、民話、古代ロシアの英雄叙事詩などが記録され、出版された。この展覧会で心惹かれたのは、巨匠達の大作の間にあった市販の画用紙大に描かれた水彩画だった。

◯ スリコフ作「モロゾワ大貴族夫人」1885年。


(水彩画エスキース)

ワシーリ・スリコフ(1848?1916)はロシアの歴史画家。シベリア・コサックの生まれ。

ペテルブルグの美術アカデミーで教育を終え、モスクワに移住。絵画がブルジョア階級の

ものであることに疑問を抱いた画家の一人で、支配階級やブルジョアジーに対する反感は、

民衆や敗者への共感となり、17世紀中葉ロシア史に題材を求めた「銃兵処刑の朝」1881,

「大貴族夫人モロゾワ」1887の様な悲劇的な歴史を回顧した大作を生んだ。


「モロゾワ大貴族夫人」は、総主教ニコンの教会改革が行われた17世紀に題材をとっている。1653年、宗教改革により総主教ニコンがロシア正教会の典礼改革を始めた。

彼は当時のギリシャ正教会を手本にしてロシア正教会典礼書を改め、二本指で十字をきって

いたのを三本指に変えると言う様ないくつかの典礼を変更した。

[キリスト教は東方教会(正教会)と西方教会(カトリック教会)に分裂した。祈りの儀式で三つ合わせた指は 神、キリスト、聖神の三位一体を表すとされる]

総主教ニコン支持者と旧儀式派(分離派)支持者との間の衝突は激しいものとなり、いわゆる“分離派”運動を生んだ。1666-67年の宗教会議は旧儀式派を破門し、彼らの処罰を決めた。

名門貴族F・P・モロゾワは、ロシア分離派の著名な活動家であった。配偶者を失って

彼女は名前を変え、密かに剃髪した。彼女は旧儀式派に属したことで、また皇帝と総主教に

反抗したことで1671年11月16日の夜中に逮捕された。

画家・スリコフは、鎖につながれたモロゾワ夫人が教会の改革を受け入れなかった罰として、手枷をはめられ、取調べと拷問のため、クレムリンの拷問室に連行される場面 を描いたのだ。彼女は旧い儀式に対する自分の忠誠心を主張して、2本の指で十字を切った右手高く上げている。その後、モロゾワ夫人はモスクワ郊外の修道院の地下牢に幽閉され餓え死にした。

参考資料:[「ロシア近代絵画の至宝~トレチャコフ美術館展」1993年発行:NHKプロモーション]


「モロゾワ夫人」の制作には、1881年から87年までの歳月を費やした。

スリコフは、作品の構図を模索しながら、35点以上の油彩画(右:「~夫人」の一部)と

水彩画のエスキースを制作したと言う。

冬のモスクワの雪道を橇で運ばれる夫人の強靭な精神と自分の信念に対する忠誠心、夫人を見送る人々の顔、表情、姿に人間の感情が反映されている。


“カチューシャ”で有名な小説「復活」(1899年刊)の中で「聖書を勝手に解釈し正教を冒涜した」として、トルストイは1901年にロシア正教会を破門された。トルストイの宗教・哲学思想の根底にあるのは、キリストの教えを重視し、非暴力、赦し、普遍的な愛、隣人愛等が基本だった。

それから百年以上経った今日、なおも神仏の教えに背き、世界は分断と戦争を繰り返している。



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