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執筆者の写真東京黒百合会

イタリア美術巡礼

|- イタリア美術巡礼 一かたつむり旅日記(4) - 長谷部 司

四月十二日(火) ラヴェンナ

「サンタポナーレ・イン・クラッセ聖堂」

 早起きして郊外のクラッセにあるサンタポリナー レ・イン・クラッセ聖堂に向かう。バスははじめ 通学の学生達でいっぱいだったが、街を外れる頃 には自分一人だけになってしまう。それらしき建 物を通り過ぎてしまったように思ったので運転手 に聖堂の名前を何度も繰り返すと、首を横に振っている。ここは終点で聖堂にはひとつ手前で降り なければいけなかったらしい。ちょうど反対方向 から来た空のバスを止めてその運転手と言葉を交したあと、 手振りでそのバスに乗り換えろという。おかげで無事聖堂まで戻ることができる。笑 顔ひとつ見せない無愛想な親切が身にしみる。入館時刻に間があったので近くのカフェでクロワッサンとエスプレッソの朝食を済まして聖堂に行く。 まだ十五分前だったが、掃除をしていた中年の女性が入口の扉を開けて入っていいという。全部手振りの会話である。一歩足瓦の内壁。黒ずんだ木の梁が露わな天井。長方形の広々とした空間に身廊を支える 緑色の縞模様の入った大理石の柱が二列に並び、その奥が後陣となっている。その後陣正面を縁どるアーチと半円蓋の天井全面に初めて実物を目に する壮麗なモザイクの世界が展開していたのである。 描かれている内容は当時のキリスト教の信 仰にふさわしいものに違いないが、信者でない当 方にとっては、モザイクの美術的な魅力しか重要 でない。

円蓋の内側に描かれた金色の空には紺地の円盤をバックに黄金の十字架が描かれ、その左右に十字架に向かって二人の白衣の予言者らしき人物が 浮ぶ。若草色の大地は一面に大小の草木や小岩が童画のように配され、正面に両手を拡げた聖アポ リナーレが左右に六匹ずつ一列に並んだ羊を従えて立つ。これらすべてが半円蓋のなかのとても宗教画とは思えない牧歌的な小宇宙を現出させているのであった。


「聖堂の天井画」


 モザイク特有の透明感ある色彩が微妙に溶け合って世にも不思議な天上界を創出している。厳粛に荘厳化された後世のゴシック寺院の外観や内部に比べてこの六世紀前半に建てられた聖堂の簡素な美しさが一層好ましく感じられる。

 今はまわりに何もない平野の真ん中に、松の疎林に囲まれて立つこのバジリカ風聖堂と円塔の姿は一生忘れがたい。ダンテやバイロンもその美しさを詩っていると案内があったが、さもあらうと思った。しかし、かっては盛大な信仰の対象であったに違いないこの聖堂がいまや周辺に家も無く、 ただモザイク画故の単なる美術的文化遺産になってしまっているのはなんとも淋しい限りである。

 昼前にラヴェンナの街に戻って来られたので今度はサンタポリナーレ・ヌォーヴォ聖堂を訪ねることにする。 煉瓦造りで装飾のない素朴な外観はクラッセの聖堂と同様であるが、内部のモザイクには大きな違いがある。 ここでは、身廊の左右の壁面を上中下の三段にわけて、キリスト伝、預言者達の像、殉教者と聖女の行列がすべてモザイクで描かれている。 一番目を惹いたのは下段の左右の壁を規則的且つ整然と埋め尽くした白衣の聖女達と殉教者達の行列である。一様に長身小頭、直線的な衣服の襞によって描かれた人物達はどこかアッシリアやエジプト時代の表現に通じるものがある。ビザンチン的というべきか。硝子や石の砕片を埋めるモザイクの技法的制約に加えて当時の時代的要素も入っているように思える。ここで はモザイクの美しさよりもむしろ表現の多様性に興味をもたされた。 いずれにしてもモザイクによる単純で素朴な独特な表現の好ましさを再認識する。

 生ハムのサンドイッチとミネストローネで昼食を済ませ、モザイク巡礼をさらに続ける。

 華麗且つ壮大なサン・ヴィターレ聖堂、密教的に濃密なガッラ・プラチディア廟、小規模ながら 華麗に調和のとれたネオーネ洗礼堂、いずれをとっても、それぞれ特色のあるモザイクの美しさは 筆舌を尽くしても到底伝え難い。しかしこれだけのものを一度に鑑賞していると、いささか食傷してくるのも事実である。貴族の小庭園でしばらくやすんだ後ホテルに戻る。夕食はまた昨日と同じ中華の店にでかけて海老のチリソースと麻婆豆腐ですます。自ら企てた計画とは言え心身ともに疲れ果てて寝る。

[ 続く]



ヌォーヴオ聖堂のモザイク画


ヴィターレ聖堂外観

ヴィターレ聖堂内部


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