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執筆者の写真東京黒百合会

イタリア美術巡礼

―かたつむり旅日記(8)―

  長谷部 司

四月十七日(日)アッシジ/シエナ

 アッシジからシエナまで行くバスが一日に一本だけあることを知ったのでそれでいくことにする。しかしバスの停留所は四キロほど離れたところだという。ホテルでは歩くのは無理だといい、バス会社では歩いて行けると反対のことをいう。迷ったが歩けない距離ではないので歩くことにしてバスターミナルで近くにいた品の良い老夫婦に道順を尋ねる。停留所は鉄道の駅向こうの聖マリア・デッリ・アンジェリ聖堂の近くだといい、そこまでの行き方を教えてくれる。礼を言って歩き出そうとすると、自分達はミラノまで車で帰るとこらだから送ろうと申し出てくれる。遠回りになるのがわかっていたので辞退したが結局好意に負けてしまう。ミラノの身も心も豊かな経営者らしき夫婦だった。控え目で暖かい申し出が有難かった。

 バス停のある聖アンジェリ聖堂では丁度日曜の朝のミサが終わって聖職者たちを先頭にした行列がゆっくり教会から出て来るところだった。黒衣に身を包んだ信者達は手に手にオリーブの小枝を持っている。厳粛というより穏やかで平和な日常的な風景だった。

 

なごり惜しい気持ちを乗せてバスは二時間あまりで昼過ぎのシエナに到着する。

 シエナでの目的は唯一つ、マンジャの塔が聳えるカンポ広場にこの二本の足で立つことである。その魅力が数々の美しい写真や文章で世界中に紹介され尽くされた感のあるこの有名な場所に自分の身体を置いて自分の目と肌で確かめてみたかったのである。

 バスを降りたのは街をかこむ城壁の南東で、街には堂々とした石組のロマーナ門をくぐって入る。まちの中心から離れたこのあたりは閑散としていて通りの両側は商店もない四階建の建物の石壁と小さな窓が続いている。予約したホテル、「アンティカ・トーレ」(古い塔の意)はこの一角の通りに面した間口二間もあるかないかの小さなホテルであった。ホテルの入口では紺色のツイードのツーピースにハイヒールのマダムが笑顔で迎えてくれる。小さなカウンターの前にソファ一つ置いた形ばかりのロビーである。案内されたのはカウンターの横を入った直ぐ突き当りの部屋で、壁は白い漆喰のまま天井には黒い剥き出しの木の梁が七、八本走っているだけの、まさに中世そのままである。トイレと洗面台とシャワーが仕切られた狭い空間に一列に並び、隣の建物に面して出窓、部屋いっぱいに大きなキングサイズのベッド。あまりに現代離れした昔ふうの簡素な佇まいに嬉しくなってしまう。

ホテルの客室 

イタリア美術巡礼

 ―かたつむり旅日記(9)―

  長谷部司

四月十七日(日)シエナ 

 荷物を置いて早速カンポ広場へと向かう。広場に近ずくにつれて人通りが多くなり商店も増えてくる。やがて左手に曲がる道路の先に突然明るい青空が現れた。足早に近ずくと、まさにそこが待ち望んだ憧れのカンポ広場だった。しかし憧れは瞬時に大きな失望に変わってしまう。広場も、広場を取り巻くレストランのテラスも、いたるところ世界中からやってきた現代の観光客達でいっぱいで、しかも眩しいほどの春の日射しの下で中世の雰囲気などどこかに吹き飛んでしまっている。もっともかくも大仰に失望落胆して嘆くのは多分この日本のドンキホーテぐらいのもので、若者達は広場に直に坐りこんで異国の名所を無邪気に楽しんでいる。取り敢えず平和で大勢のひとが海外旅行出来るほど豊かになった世界を喜ぶべきであり、老書生の感傷など吹き飛んでも仕方がないのかもしれない。そう自分を納得させてスケッチの道具を取りに宿にとってかへし、街に入る途中で目を付けて置いた別の小さな建物をかくことにする。二叉路の突端に立つ小さな集会所風のピンクに縁取られた建物である。描き終わったあとまだ暗くなっていなかったので、先刻の無念な思いが治まっていなかったこともあり、もう一度カンポ広場に戻ってみる。これが手を叩きたいほどの正解だった。

 陽の落ちた後の広場は、ほとんどの観光客が帰ったあとで、残照で青色から茜色に変わりつつある空のもと広場は先刻とは打って変わってがらんと鎮まりかえっている。想像していた中世の雰囲気がゆっくりよみがえってくるようである。まだ開いているレストランのテラスの片隅に陣取り、アイリッシュコーヒーを注文し足を組んで煙草をふかす。家族に送られて一人旅に出て、親しい友人達に先立たれながらまだ生き永らえて、いまこうしてシエナのカンポ広場にいることの有難さを思う。何百年もの間市民の手によって形造られ守られてきたこの広場はまだ生き続けている。その生命の温かみと安らぎがあると思った。 二杯目を頼みいい気持で目を閉じる。

 となりの椅子テーブルまで片付け始めたので席を立つ。もう広場は暗くマンジャの塔だけがひとり夜空を背に照らし出されていた。暗い帰り途で一軒だけ開いていた中華食堂で春巻と海老チャーハンとビールの夕食をとって宿に戻る。長い一日だったように思う。

 

 朝食は丸テーブルが三つ置かれただけの窓のない地下室で、昨日と同じスーツにハイヒールのマダムが笑顔で質素な皿を運んでくれる。客室が八つでエレベーターもないB・Bホテルの面白さである。


今日は街歩きをする積もりだったが、カンポ広場を満喫してしまったので、南側に広がる谷間に沿った裏道を辿る。旧市街を背にして臨む緑の谷間の先にはトスカーナの緩やかな起伏がかすみ、左右の丘に教会の塔や大屋根が点在する気持ちのいい風景である。スケッチを始めるが、午前の日射しが変わるにつれて黒々としていた木々の蔭が見る間に少なくなってゆく。もう一枚場所を変えて近くの赤い瓦屋根を見降ろす画を描き終わったころには正午を過ぎていた。

 カンポ広場に通じる狭い裏通りには伝統的なものから現代風のものまでを扱う職人達の仕事場を兼ねた小さな店が奥に煌煌と電気をつけて立ち並んでいる。時代とは無関係な懐かしい光景である。今日はカンポ広場は素通りして大聖堂ドォウモに向かう。正面に面した広場の縁石に腰をおろして見上げる。大理石が白く輝き壮大にして壮麗である。イタリアはどこの街に行っても他の街と妍を競うようにドゥオモが建っていてその外観の威容に感嘆させられる。さらに内部は荘厳を演出する装飾で溢れている。そして今は信者でもない異国の観光客を楽しませている現実。そらぞらしく虚しいだけである。こうして人類の世界遺産として保存されていくのだ。フィレンツェ往きのバスの切符をバスターミナルまで行って買ったあとカンポ広場に戻り、市庁舎で有名な「善政と悪政」のフレスコ画を見る。市民の共同体であるコムーネが支えて来た都市国家として相応しい画題の画である。今日も心身とも疲れ果ててピッツァのテイクアウトで食事を済ませ就寝。シエナ料理も遂に食べず仕舞いである。

 四月十九日(火)シエナ/フィレンツェ。

 朝食後植物園の門らしき所をスケッチしたあとホテルのマダムに別れを告げて、カンポ広場の反対側にあるバスターミナルまで二十分ほど歩く。これでカンポ広場を四回もみたことになる。いまではただの見馴れた場所といった感じでしかない。

 フィレンツェに至るバスの車窓のトスカーナの風景も今や日本を走っているのと大して違って見えない。人間の場所や物に慣れる能力は恐ろしいほどだと思う。中国やアフリカでの携帯電話の普及の早さがいい例である。昼過ぎには十日ぶりに懐かしのホテル・ボッカチオに帰り着く。荷物を置いて今度は市内バスでアルノ川の対岸の丘にあるミケランジェロ広場に向かう。これも写真やテレビですっかり見馴れたフィレンツェの眺望を自分の目で確かめた上、自分の手でスケッチしようという目論見である。 この広場も人気スポットのため観光客でいっぱいな上夏に近い陽射しと暑さでミケランジェロのダヴィッド像(模刻)も眉をしかめている。コーラで喉を潤し上着もぬいで陳腐化した美観のスケッチにとりかかる。太陽の熱で油性パステルが柔らかく溶けてくる。建物で埋まった大きな景観なので思ったより手間がかかり、描き終わった時には精魂尽きる思いである。まことにお疲れ様なことである。折り返しのバスで中央駅まで戻りビールとスナックを買って、やっと一日が終わる。



   





ミケランジェロ広場よりの眺望

                   


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