top of page
執筆者の写真東京黒百合会

イタリア美術巡礼

―かたつむり旅日記(10)―

 長谷部 司


 四月二十日(水)フィレンツェ

 今日は今回のイタリア滞在最後の日である。

まず十時に予約をとっておいたウフィッツィ美術館に向かう。花の大聖堂の脇を通るが巨大すぎて見上げても壁しか見えない。馬鹿大きくて今回も中を覗く気にならない。

 ウフィッツィでは予約確認書とチケットの交換にもその後の入館にも五十人ずつくらいに仕切られた列に並ばされる。その他に当日売りの券を待つ長い行列ができている。自分もこの大勢の観衆の中の一人であることが浅ましく思えてくる。いずれにしても自分にとっては今回がこの世界中で有名なウフィッツィの見おさめだと思っている。二十年前に見た名画の数々との再会が旧友に逢ったようで懐しい。その分最初の感激は薄れているようでもある。

 今回も一回目は丁寧にゆっくりと、二回目は特別印象に残った作品だけを見て回る。観終わった時には午後一時を過ぎていた。今回の旅の一番の目的は識者達によって確立された評価でなく、美の愛好者を自負し、また自分なりに絵画の表現を追究してきたつもりの一個人として、たとえ自己流であっても自分の目による自分が納得できる結論を得ることであった。

 結局今回このウフィッツィでもっとも印象に残ったのは、ジオットの「荘厳の聖母」、フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」、「ラファエロの自画像」、ゴヤの「シンション伯爵夫人の肖像画」だった。そしてこれでいいと思った。

 次に向かったのはサンタクローチェ聖堂である。交通制限のため迂回して着いた教会の正面を蔽い隠すように大きな仮設ステージが組立てられ、スピーカーからロックバンドのリハーサルの音が響き、聖堂前の広場には続々と若者達が集まっている。側面の入口から入った聖堂の内部は一転して薄暗く人影もまばらである。 


「荘厳の聖母」ジオット



「聖母子と二天使」 フィリッポ・リッピ


 お目当てのジオットの壁画のある祭壇横のバルディ礼拝堂の前はここでも綱が張られていて近寄れない。遠くからでは有名な聖フランチェスコ伝や、聖フランチェスコの葬儀のフレスコ画も不充分な光と経年のためただ白っぽく見えるだけである。スクロヴェーニ礼拝堂のジオットが余りに素晴らしかっただけにここでも失望は大きい。

 ダンテ、ミケランジェロ、マキアヴェリ、ガリレオなどが葬られている往時の格式高い大聖堂も今は時代に置き去られた博物館の趣きである。

 ともかくこれですべて見たいものは見終わったという安堵でホテルに戻る足ががっくり重くなる。ショウウインドウのガラスに写る自分の姿も周りの屈託の無い若者達の間でいかにも草臥れ果てた高齢者である。

 ほうほうの体で宿に辿りつくと、シャワーを浴び、絹の黒い長袖のシャツと白いズボンに着替えて、待ちに待った最後の晩餐にお出掛けである。考えてみれば折角美食の国イタリアに来ていながらこの旅でご馳走らしきものは何一つ食べていない。予定をこなすのに精一杯で気持ちにも体力的にも余裕がなかったのも事実だが、所詮美食には縁が無い性分である。ただ旅行案内書で見てフィレンツェでどうしても食べてみたいものが一つだけあった。フィレンツェ名物のビステッカ・アッラ・フィオレンティーナである。それを食べて今回の旅の打ち上げの最後の晩餐にすることを旅の間中夢見ていたのである。  


ラフアエロ自画像


 「シンション伯爵夫人像」ゴヤ 


 目星をつけて置いたトロッテリアは時間が早いのでまだ客は少ない。通常一キロの牛の肩肉を二人前として焼くのだがこの店では半分の五百グラムを一人用に焼いてくれると言うのでそれを頼む。一緒に、生ハムとメロン、ぺペロンチーノ、サラダ、赤ワイン二分の一カラフ、デザートにテラミス、そてエスプレッソ、悲しいことに全部イタリア料理の定番である。前日来た時はパスタにビールだけの草臥れた日本人の打って変わった大盤振る舞いに無愛想なウエイターが笑い出したくらいだ。塩コショウだけで焼いた厚さ三センチのティボーンステーキをぺろりとたいらげてしまう。肉汁が身体中に沁みわたり長旅の疲れがいっぺんに吹っ飛んでしまう旨さだった。いまにして思えばこの旅での一番の感激はこのビステッカだったかも知れない。精神と食欲は別物であるにしても、高尚な美術巡礼の結論としては我ながら他愛ない話である。大満足でホテルに戻り明日の出発のための荷造りをする。 

500グラムのTボーンステーキ


 午前九時過ぎの特急でローマに発つ。車内で重いスーツケースを高い荷棚に上げるのに苦労していると反対側に坐っていた女連れの若くて頑丈そうなアメリカ人の男性が席を立ってきて軽々と荷棚に上げてくれる。礼を言ってから冗談に、降ろすのが大変だというと、心配するな、また俺が下ろしてやるという。いかにも気のいいアメリカ人だ。

しかし何時の間にか席を離れた二人はローマが近くなっても戻ってこない。食堂車でくつろいでしまっているに違いない。仕方なく自分でおろそうとしていると、隣の席でパソコンに向かっていた小柄なイタリアの青年が黙って立ち上がり軽々とスーツケースを下ろしてくれる。若いといっても自分より身体の小さいイタリアの青年に助けられた気持ちは複雑だった。

 午後三時すぎ定刻にローマ空港を発って帰国の途に就く。何はともあれ事故も起こさず無事に野心的な一人旅を終ることが出来て大声で笑い出したい気分である。

―終り―

     

 「追記」

 帰国後、この旅行中の唯一の事故として、ローマ空港の免税店で使ったクレジットカードの番号が同じ日のうちにドイツのベルリンで盗用されたことが判明。

閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

寄稿

寄稿

Comments


bottom of page