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執筆者の写真東京黒百合会

グランド・ジャット島の日曜日の午後

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」を描いてみた   写真と文:小石浩治

 ドレスのヒップラインを強調したシルエットのスカートのことを“バッスル(腰当て)スカート”と呼ぶと知ったのはずいぶん後になってからだ。日本では、明治中期、鹿鳴館全盛の頃移入され、上流階級の女性の社交着となったという。20世紀に移る頃はバッスルは廃れ、コルセットで胸を強調し、スカートはストンと落としたスタイルへと移り変った。しかしそれもコルセットでウエストを締めあげた上でのファッションに変わりなく、当時の女性たちはコルセットのもたらす健康被害に悩まされ続けたそうだ。高校時代、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」(1884-86年)の婦人の腰の膨らみを見た時は、この腰の中に何が入っているのだろうと不思議でならなかった。

 後日、この絵は、スカートの話ではなく、画面の発色、彩色こそが評価の根幹になっていることを思い知った。つまり、この絵が衆目を集め、今も語り継がれるのは、人や植物等は輪郭線を描いてから色を付けたものではなく、無数の点、色の粒を埋め尽くして描いたものだからだ。

 [―印象派の画家たちは、画面の明るさを保つために絵具を混ぜる代わりにそのまま小さなタッチで画面に並置するという方法を試みた。本来混ぜるべき色をバラバラに並べる技法だから、それは「色彩分割」と呼ばれた。スーラはこのやり方を一層徹底させて、タッチの代わりに小さな色点を丹念に並べると言う方法をとった。彼の絵が時に点描主義と呼ばれるのはそのためである-―](「点描主義」・高階秀爾―「世界名画の旅」朝日新聞社刊)



 ジョルジュ・スーラ(1859-1891)は「~午後」を丸2年かかって完成させた。秘密主義で有名だったらしく、30歳で結婚して子供もいたが、親にも秘密にしていた。「-午後」の画面・背景についても意味は誰にも解らない。ペンで模写していても、次から次と疑問がわき、一向に進まない。

 例えば右端の婦人はなぜ犬と猿をお供に? 画面左の木の下の赤い輪のついた帽子を被る人と横の老人との関係は?画面上部の煙を吐く船は沈没しそうだが大丈夫か?遠景の部分は更に解らぬことが多いが、人物は45名以上になる。日曜日の午後、人々が島で楽しむ様子を映した「動画」を一瞬止めた「静止画像」なのに、ペンで描くだけでも半日かかった。スーラの写生したセーヌ河の中州「グランド・ジャット島」は、今は島全体が濃い緑に覆われた住宅地になっているそうだ。



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