-----続かたつむり旅日記(3)------ 長谷部 司
四月十一日(月)パドーヴァ/ラヴェンナ 朝八時半のフィレンツェ発の特急電車に乗り一時間半ほどでパドーヴァに着く。ヴェニスから四十キロほど手前の古くから知られた学芸の街であるが、目的はただ一つ、スクロヴェーニ礼拝堂を訪ねてジオットのフレスコ画を見ることである。 一三〇三年に建てられたこの礼拝堂内部の壁が「イエスキリスト伝」「聖母マリア伝」「最後の審判」「美徳悪徳」等のフレスコ画で埋め尽くされており、そのすべてがジオット本人の手によるものとして知られている貴重な場所だからである。 前もってインターネットで予約しておいたチケットを受付で受け取ってからさらに礼拝堂の入口で予約時間まで待たされる。予約なしでやってきた美術愛好者らしき日本人ツアーの一行が予約してなかったため入館出来ず大声で添乗員と揉めていたが無駄である。予約の時刻になると三十人ずつ控室に入れられ十五分間ビデオを見せられたあと礼拝堂内で十五分間だけ鑑賞できる仕組みである。 こじんまりした簡素な堂内一面がジオットの画だけで飾られているのだからまさに壮観であったが、中央の通路を囲んで縄が張られていて画には近付けないから細部を確かめることは不可能であり、また何十枚もある画をたった十五分間で鑑賞しろというのが所詮無理な話であった。とはいうものの、ひとたびこの礼拝堂の中に身をおいて、ジオット独特の単純で明快な色彩と描かれた人物達の峻厳かつ崇高かつ尋常でない無数の眼光に取り囲まれた時、ああ、これがジオットなのだ、ジオットの凄さなのだと体中で実感できた。 個々の画の細部や講釈はあとで画集や本を見ればいい。いまはただ、この至福とも言えるジオットの凄さを体中で感じているだけでいいと思った。
【ジオット「キリストの死への悲しみ」】 七百年前にジオットによって創られた小宇宙から戻って来た外界は、ごく日常的な現代のイタリアの街の春だった。次の目的地であるラヴェンナに向かう電車まで時間があったので、隣の公園から見た礼拝堂をスケッチする。少し前に経験したジオットの画には及びもつかぬ拙いスケッチであるが、これもいまや習慣となってしまった自己満足と思うしかない。 ローマ時代の闘技場の跡だという公園は人影も疎らでおだやかであった。スケッチといえなかなか思うように描けないが、これも仕方がない。 急行でフェラーラまで戻り、鈍行に乗り換えてラヴェンナには夕刻に着く。日本を発ってから十日間洋食ばかりだったので今日はどうしても和食を食べたかったが、日本料理屋はなく中華料理だけだという。 しかもタクシーで行かなければならない。外見を金と赤で彩った「中国城」という看板の店だったが、メニュウはすべてイタリー語、英語は通じない。それでも客の少ないテーブルに熱いお茶が出て来た時は実にうれしかった。 海老の塩炒めと春雨と紹興酒でいたく満足。 [つづく]
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