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執筆者の写真東京黒百合会

井上寛子展 103歳の挑戦

長谷川 脩 (2021.04.23)

 我が家に半切大の用紙に百合を描いた絵がある。木製額の裏側に「1971.7.3 寛子」のサインがあり、約50年前、我々の結婚の時、家内の友人のお母さん井上寛子さんが贈ってくださったものだ。

 その井上寛子さんの個展のはがき「103歳の挑戦」が3月に届いた。驚きと共に3年前、投稿した「100歳の個展」(通巻394号)を思い出した。

 4月平日の午後、世田谷の閑静な住宅街の一角にある画廊「ギャラリーACCA」を訪ねた。

 画廊のHPには「掃除、洗濯、焼き菓子作りなどの日々の家事をこなしながらキャンバスに向かい続ける103歳の自立した画家井上寛子さんの個展です。1936年から絵を描き、挑戦し続け、精神性の高い透明な作品をご高覧下さい。人生100年時代に相応しい企画をお届けします。」とあった。

個展案内状


「百合」


 出品作は大小あわせて35点。新作の「朝陽は、また昇る」は力作で、太陽が昇る姿の2/3を黒く、残りを光輝く様子に捉えた独創的な姿に描かれていた。その太陽の恵みを受け、輝く生命の代表のように鳥と樹が下に描かれている。神奈川新聞の記事によると、コロナ禍の今も毎日キャンバスに向かい「停滞している事態に動きを求めた」との思いを語っている。そして、この絵に合う額縁が無かった為、ご自分でノコギリを出して木を切って準備した、とある。

 近づいてみると、確かに金箔で仕上げられているが、寸法がやや不揃いで、釘を打った場所もまちまちな状態が見てとれた。

 100歳の時に語った「光を求めて描き続けたい」のパネルも飾ってあった。そのことばどおり、現在も前に向かって進んでいる姿が伝わってきた。

「朝陽は、また昇る」  油彩  2021.2


 この絵と同じく、他のどの作品も色調がとても複雑で単色のものは少ない。目指す色合いに迫る視覚と感覚が深く、奥行きのある雰囲気がカンバスから漂っていた。若い頃から長く続けてきた創作活動によって培ってきたものが、そのまま飾ることなく表現されている。そのような印象は、どの絵を見ても感じられ、観る者を心地よい状態に引き込んでくれる。

自宅アトリエでの制作風景


 当日、ご本人にお会いすることは出来なかったが画廊のオーナーが新聞記事や資料等を出してくれ、寛子さんがインタビューに答えているビデオも見せてくれた。インタビューは2年前にスエ―デンの記者が行なったもので、穏やかに英語で答えていた。家内の話では雰囲気も話し方も以前とほとんど変わらない印象とのこと。普段の様子がそのまま現われているのだろう。

寛子さんのご主人は彫刻家井上信道氏(2008年99歳で逝去)で、東京美術学校(現東京芸術大学)在学時から横浜にアトリエを構え、生涯そこで制作活動をされた。作品は県内各所にあり、横浜博覧会にちなんだ彫刻「宇宙と子ども達」は横浜駅前に置かれている。

インタビューに答える 寛子さん



「宇宙と子ども達」像


一緒に生活している一人娘の大野静子さん(画家)が家内と中学高校の同窓で、静子さんは現在、スエーデンと日本で2年毎交互に開かれるコンテンポラリーアートに参加している。今年は横浜の三渓園で「アートの庭」が開催される。

 画廊には、静子さんが準備した寛子さんの人となりを伺わせる資料が何点か置いてあった。その中からエピソードを3点紹介する。

・ “昔お世話になった人に、重い「木の化石」を送ることに。重い化石を持って坂下の郵便局に行く。着いたら財布を忘れたことに気づき、包みを預かって欲しいと伝えると管理上責任が持てないとの返事。また急坂を家まで戻り財布を持って再び包みを抱え郵便局で無事発送。少し疲れたので帰りは市営バスで遠回りし買物もして帰宅。”

・ “誕生日に鰻丼を作って出したところ「本当はビフテキが食べたかった」と言った。ジンライムで乾杯すると「アルコールがこんなに美味しいのなら、毎食、飲みたいわ!」と言った。井上家はキリスト教のピューリタンの影響で、基本的には「禁酒」なのだが。”

・ “横浜駅西口地下街の画材屋に一人でバスに乗って出かける。「マスクを着けて」と静子に注意される。昨年、六角橋のマーケットで自ら選んで買った杖は今日も使わない。50番のバスで無事帰宅。西口地下街でアサリの佃煮と煮豆を買ってきた。「外に出て歩くと、お腹が空く」と言って、おやつ代わりに煮豆を食べる。”

会場にあった自宅前でのスナップ


 作品の中に、加筆や塗り直しが出来ない難しい「ガラス絵」も何点かあった。ガラスの板に裏側から描きガラス板面を通して鑑賞する。表裏、左右が逆になるが、乱反射が無いため潤いのある発色が保たれる。小さいガラスの中に見事な構図と色彩を発揮していた。

 作品全てを鑑賞し堪能してから、ギャラリーがこの展覧会をもって閉館する話に及んだ。詳しい理由までは分からなかったが、寛子さんの個展で終りを迎えられ本当に良かったと話していた。

画廊を辞して東急田園都市線の桜新町駅に向かうと、往きには気づかなかったが、駅前通りの両側は八重桜の並木になっていた。ちょうど満開を過ぎた時期で花吹雪が舞っていた。

帰宅後、書庫の一角にある額縁棚から「百合」の額を出してきた。玄関の横の壁に掛けてあった自分の絵を外し、その「百合」を飾った。これから夏に向かい、ユリの花の季節になる。


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