寄稿 「金婚の日」[七]
- 東京黒百合会

- 10月4日
- 読了時間: 2分
長谷部 司
四人だけの祝宴は階下のレストランの一隅のコの字型の席に用意されていた。
「ここが落ち着いて一番居心地のいい席なのよ。私のお気に入りの給仕長に頼んでとって置いてもらったの」
ここでは顔の利くのだという母は得意げだった。フルコースの料理の内容も給仕長と充分吟味して決めたのだという。
テーブルの真ん中に置かれた姉の容子からのバラの花束の脇に、啓吾は今朝新幹線の中で認めた父母宛てのメッセージの封筒を置いた。
「僕のお祝いの言葉です。あとで読んでください」
父が挨拶のためシャンパンのグラスを掲げる。
「容子は忙しいところを、啓吾もわざわざ京都から駆けつけて来てくれて有難う。
ママには異論もあったようだけれど、パパとしてはどうしてもこの結婚五十周年を祝いたかった。
いいことも悪いこともあったにせよ、一緒に暮らして、容子と啓吾をこの世に送り出すことができ、いまもこうして家族四人無事でいられること以上に目出度いことがあるだろうか。
今にして思えば、生まれも育ちも、感じ方や考え方も、こんなにも違うパパとママが、よくここまでいっしょに辿りつけたものだと不思議に思われるくらいだ。その分こどもであるお前達にはずいぶん迷惑をかけて悪かったと思う。
では、お互いに感謝して乾杯」
朝から何も食べていなかった啓吾にとって豪華な料理は有り難かった。
家族なんて一緒に和やかに食事ができさえすればそれでいいじゃないか。それ以上望むことは本来無理なのかもしれない。
いずれにせよ、まだ結婚もしていない啓吾にとって自分が将来どんな家族を持つことになるのか見当もつかない。
なにしろ現在結婚に踏み切る相手さえまだ決まっていないのだから。まして生まれて来る子供なんか想像もつかない。
ここまで考えて来て、啓吾は改めて結婚の行く末は全くの未知の世界なのだということを思い知らされずにはいられなかった。その自分と比べればこの両親はなんともう五十年の結婚生活を続けて来たのだ。少なくとも形の上では。
「披露宴の料理が当時一人千二百円、今日の料理の約十分の一だったのだからね」
感慨深げな父の言葉に母が今日はじめて険しい視線を送った。母にとっては、このような場ではお金の話を持ち出す父の神経がなまらないのである。
それ以外は和やかな食事が恙なく終わった。
時間は午後三時を過ぎていた。

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