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寄稿 「金婚の日」[八][九] 最終回

  • 執筆者の写真: 東京黒百合会
    東京黒百合会
  • 1月1日
  • 読了時間: 3分

長谷部 司

 [八]

 また、タクシーだった。

こんどは父母が五十年前に新婚生活を始めた安アパートを見に行くのだという。

そのアパートがまだ残っているのだと父はいう。

最近は、父の考えにとやかく異論を挟むことの多い母だが、今日ばかりは父のある種の気迫に押されてか、黙ってタクシーに乗り込む。

 そのアパートは、四谷と信濃町の台地に挟まれた細長い低地の、狭い路地の奥に建っていた。周りを新しいマンションに囲まれたその木造二階建て四部屋からなる貧弱なアパートは、小さく見る影も無く古びていた。各部屋は四畳半に半畳ずつの押し入れと形ばかりの台所がついているだけでトイレは二軒ずつの共用、風呂は銭湯だという。驚いたことに四軒ともまだ人が住んでいるようだった。

 「ここが私達が住んでいたところ」そう言って母が指さしたのは一階右側の部屋で右端に入口のドア、左は一間の腰窓になっている。

 これこそ、まさに「巣」ではないかと啓吾は心の中で叫んだ。

「あの頃は、周りにビルなどなかったから冬でもよく陽がさしてあかるかったのよ。それに新築の一番乗りだったから新しくて気持ちがよかったわ」

 そういえば、この窓に腰掛けて眩しそうにしている若い母の新婚直後の写真をみた記憶がある。

 それにしても、どこもかしこも黒くくすんで古びてしまった安普請の木造の建物が、よくいままで残っていたものだ。それをいつか独りで訪ねて来て知った父が今日の結婚記念日に母に見せたいと思ったに違いない。そして姉の容子と啓吾にも。

 何も言わない父の心中は推し量るしかないが、今の父にとってこの五十年前に結婚生活を始めたささやかな場所が、例えようもなく懐かしく、愛おしく、再び手にすることの出来ない宝物のように思えるのではないだろうか。そしてその頃の幸せで嬉しい気持ちを母に思い出して欲しかったのかもしれない。五十年後の今離婚を考えるに至った母にも。

 啓吾としては、今の自分より一回り以上若かった両親の新婚生活の中身が想像出来そそうで、実はなにひとつ具体的に想像出来ないのが歯がゆかった。少なくとも、そこには二人で巣を作って籠ろうとする共通の意志があった筈なのに。

あるいは、母にとってこの場所こそそれまで育んで来た結婚に対する期待と夢が裏切られ始める長い道程への出発点であったのかもしれない。

 そうでなければ何故いまになって離婚など言い出す必要があるのだろうか。


[九]

 最後にもう一度皆でタクシーに乗って東京駅に戻った時には既に午後五時を過ぎていた。

「いい日だったわ」誰にともなく、ぽつりと、母が言った。

 深紅のバラの花束を大事そうに抱えた母。バラのブーケと金色の蝶ネクタイを胸もとに付けたままの父。

ふたりの後ろ姿をプラットフォームに見送った後、仕事で別のところへ向かう姉の容子とも別れた。

 今日一日何回家族四人でタクシーに乗ったり降りたりしたことだろうと疲れた頭で啓吾は考えた。

 何回父母の五十年前と現在の間を行ったり来たりさせられたのだろうか。今日の父に。


 後日送られて来た記念写真の中でいまも家族四人がみんな笑い猫のように笑っている。


― 終 ―

2010年

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