寄稿 「金婚の日」[五]
- 東京黒百合会
- 7月5日
- 読了時間: 5分
長谷部 司
次に向かったのはいよいよ結婚式場だった。なんとなく、いよいよ、という感じがした。いよいよ両親の結婚の儀式に立ち会うのだというような不思議な気分だった。係りの女性に廊下を案内されて行く途中で「ここが披露宴の部屋、こちらが私の親族の控え室、あちらがパパの方の親族の控え室、ここが私の控え室」母は人一倍確かな記憶力で当日の模様を思い出しているようだった。重い扉が左右に開かれると、そこが神式の結婚式場だった。窓のない誰もいない簡素な式場は控えめな照明の下で静まり返っていた。正面の神棚の前に一脚の机と新郎新婦の座る床几。両側にそれぞれの親族の座る席。あとは飾りのついた御簾が囲りに張りめぐらされているだけの、じつに簡素な式場である。すべて白木造りの調度は古びて薄く黄ばんでいた。足を踏み入れた両親はそのまま、息を呑んだように立ちすくんでいる。ややあって母が静かに言った。「あの時のままね」「うん」父も頷いた。
当時参列したはずの親族の中、父母の両親と母の姉も既に世を去り、父のただ一人の喜寿を過ぎた兄も、遠い九州の地で寝たきりの義姉の介護のため今回も出席できない。入れ替わりにこの世に生まれた姉と啓吾は成人したもののまだ結婚もしていない。寂しい家族なのだと思った。父と母は今、この五十年前結婚を誓った場所に立って、夫婦として共に過ごしたそれぞれの五十年にどんな想いを馳せているのだろうか。たまたま未だ残っているこの出発点の場所に立って、五十年前の若かった自分達が交わした誓いの儀式をまざまざと思い出しているのだろうか。すっかり黙り込んでしまった両親の後に続いて式場を出た。式場の扉がうしろで閉められた時、啓吾は、自分の人生にとってはまだ未知な時間、しかし両親にとっては既に過去となった五十年が、そこに再び閉じ込められてしまうような気がした。
[六]
またタクシーに乗り込む。今度は記念写真の撮影のため丸の内の東京会館に向かうのだった。今日の予定はすべて父によって決められていたので、あとの三人は言われるままについて行けばいい。写真スタジオでの家族四人の記念写真など啓吾が生まれて以来はじめてのことだ。父母にとっても結婚式以来だという。父の意気込みのほどがわかるではないか。東京会館の写真スタジオでの撮影主任と二人の助手が既に待っていた。姉の容子が手配した花束とブーケも届いていた。スタジオに案内しようとする主任を制して父がポケットから取り出したのは、金色に輝く繻子の蝶ネクタイだった。これが厄介なことに、形が出来上がっていてただ襟もとに留めればいい簡便なものではなく、一本の帯状のものから蝶の形に結ばなければならない代物だった。「これをつけて写真を撮りたいのだが、締め方が分からない。職業柄あなた方なら知っているんじゃないかと思って」父の言葉に主任と助手達は顔を見合わせた。明らかに彼等も知らないのだった。姉の容子がひねくり廻して埒があかない。宴会係だったら知っているものがいるだろうからと探しにやることになった。ここに来るまで父がこの蝶ネクタイを用意していようとは誰も知らなかった。そもそもこの蝶ネクタイをめぐっては一悶着あったのである。ニューヨークからの土産として姉の容子からこの黄金色の蝶ネクタイを受け取った時の困惑振りが忘れられない。「とてもきれいだし、ものもいいし、みごとな品だけれど、パパには派手過ぎると思うよ。だいたい蝶ネクタイなどいままで一度もつけたことが無い。いまのパパにはこれからだって蝶ネクタイをつける機会などありはしない」「パパとってもお似合いよ。ご自分で思っていらっしゃる以上にパパは派手なものがお似合いなのよ。思い切ってお着けになれば楽しんで頂けると思ったのに」「ともかくありがとう」父の納得しかねる様子に姉は感情的になって言った。「パパは容子の贈り物何でも気に入らないのね。啓吾からのものは何でも嬉しがるのに」そんなことはない。いま父が愛用しているブルゾン、セーター、手提げ鞄、みんな姉が父の誕生日やクリスマスに贈ったものだ。だいたい我が家は両親の結婚記念日や、それぞれの誕生日や、クリスマスに贈り合った品々で溢れ返っているのだ。
そんな贈り物の習慣は啓吾が生まれてからだけでも三十年以上の間続いている。家族の間の関係がしっくりしていない時の贈り物など、贈り物の存在そのものが憎らしかった。気持ちが無いのに贈ったり、贈られたり、喜んだりしなければならない絶望感はいまでも忘れられない。だいぶ待たされたあとで、中年の宴会係が息を切らしてやって来た。「自分では締められるんですが、ひとさまのは…」首をひねりながら、突き出された父の顎の下で宴会係は苦闘している。一騒動おわり、なんとか結ばれた蝶ネクタイが父の襟元で金色に輝き、襟にも深紅のバラのブーケが留められて、父の晴れ姿が完成した。身なりを整えた母も深紅のバラの大きな花束を腕に抱えて用意が整った。椅子に腰掛けた両親の間に姉の容子と啓吾が立つ形でポーズをとった。「みなさん笑って、もっと笑顔で」本番のシャッターが押される直前に撮影技師に言われた言葉が妙に啓吾の気持に引っ掛かった。この家族みんながそんなに不幸に見えたのだろうか。そうだとしても、いったい啓吾はどんな顔をして笑えばよかったのだ。どの程度、どこまで笑えと言うのだ。無理に笑った結果家族全員がみんな笑い猫のようになってしまうではないか。両親と姉の容子がどんな笑い顔を作ったのか考える間もなく、シャッターが三回おされて記念撮影は無事終了した。
いずれにせよ、啓吾にとっては、この記念撮影が今日の行事のメインイヴェントだった。ともかく、これで四人家族の過去から現在に至るまでを形として残すことができたのだ。これから先どうなろうとも。啓吾は朝早く京都を発ってからの疲れがどっと出てくるのを感じた。
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