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執筆者の写真東京黒百合会

寄稿 「金婚の日」[二]

長谷部 司

 今年の正月、家族四人が例年のように顔を揃えた元旦の朝、父が珍しく改まった口調で切り出したのだった。「今年は、パパとママが結婚して五十年。パパとママにとって節目の年になる。結婚した時から欠かさず結婚記念日を何らかの形で祝ってきた。お金の無い時は無い時なりに、生活に余裕が出来てからは少し奮発したりして、国内は箱根伊豆から始まって、関西東北、北海道まで小旅行の足をのばして、いまでは数えきれないほどになった。二十五周年には二週間かけてフランス、イタリア旅行もした。振り返ってみれば、毎回記念の行事や場所が異なっていたのは無論だが、パパとママの気持や関係も一回一回同じだったことはなかったように思う。その間にお前達が生まれて育ち、パパとママも年々歳をとって来たわけだ。ただ、パパにとって悲しいことに、ここ四、五年前からママは結婚記念日を祝う気持ちを少しずつ失って来てしまったようだ。これはママのパパに対する気持の裏返しだから仕方がないのだろう。ただパパとしてはママとの結婚生活を、曲がりなりにもここまで続けて来られたことは満足しているし、ママやお前達にも感謝の気持でいっぱいなのだ。それに加えて、お前達には分かり難いかも知れないが、パパ自身を褒めてやりたい気持もある。そういう訳で今年の五十周年の結婚記念日は家族四人できちんとした形で行いたいと願っている。だから今年の十月の結婚記念日は子供であるお前達二人とも万障繰り合わせて身体を空けて置いて欲しい」母はなにも言わずに黙っている。姉の容子が堪り兼ねたように口を挟んだ。「そうは言ってもパパ、私の十月の大学の授業の予定などまだ何もわかっていないのよ」父は感情を押さえて遮った。「五十年にたった一回の、パパとママにとって特別な一日のことを言っているんだ。病気とでも、不祝儀とでも、休講の理由はなんとでもなるじゃないか」父の強い口調に気押されて姉は口をつぐんでしまった。啓吾がなにか取りなさなければと思った時、母がひとりごとのように口を開いた。「私は金婚式を祝うような気持にはなれないわ。だってあなたは私があなたを一番必要とした時、いつも側にいてくれなかったじゃないですか」なんということを母は言い出すのだ、と啓吾は唇を噛んだ。確かに、母から聞いているところでは、昔住宅公団のアパートに住んでいた頃に起きた水道の油濁事件の場合も、真剣に取り合おうとしない父に代わって母が粘り強く公団側との交渉に当たって解決に導いたり、二人ともアレルギー体質で病院通いが多かった姉や啓吾の病気の看護も母に任せきりだったり、家を改装中に起きた大雨による冠水事故の時も、父は会社仕事を理由に殆ど関与しなかったり、近所の火事で家に類焼の危険が迫った時も父は不在で、助けてくれたのは隣人達だったとか、記憶力のよい母には山ほど父の不在の例を挙げることが出来るのである。そのことが長い間積み重なって来た結果なのかどうか分からないが、一年ほど前から母が別居とか離婚を真剣に考えていることは啓吾も母から打ち明けられて知っていた。そのために今も京都に住む所を探していることも知っていた。「お前に祝う気持ちがないなら、それは仕方がない。金婚式に出なければいい。お前も子供達も誰も出てくれなくても構わない。パパ一人で祝うだけだ。私には祝う価値が十分あると思っているのだから。いろいろなことがあったにせよ、五十年一緒に暮らして、こうして二人とも無事に生きているだけでも有り難いことじゃないか。しかもその上容子と啓吾という二人の子供も立派に成人してくれて。パパは無神論者だけれど、目に見えない誰かに心から感謝したい気持で一杯なのだ」そう言われて、まさか父に一人で金婚式を祝わせるわけにはいかないことは自明のことではないか。たとえ形のうえだけであっても。多分世間では、金婚式の祝いなどは子供や孫達が言い出すのが常識なのだろう。我が家の場合子供である姉と僕が二人ともまだ結婚しておらず、しかもその二人の子供達が金婚式のことを父より先に考え付きもせず、言い出しもしなかったことが致命的な失態だったと思った。正直、未婚の啓吾にとって、結婚生活五十年という年月の重みは、頭では分かっても実感として伝わって来ない。それは姉の容子にとっても同じだったにちがいない。母が父に対して割り切れない複雑な気持ちを抱いていることとは別に、姉の容子も、父に対して幼い時からこだわりなく心の底から安心して甘えることができないでいることを、啓吾は知っている。啓吾自身にしても、家を離れて京都で大学に入るまでは、父の全存在が反発と反抗の対象だった。それに反して母は、結婚してすぐ生まれた姉を、父の言葉によれば、全身全霊をもって慈しみ育てた。姉が十二歳の時に啓吾が生まれると、今度は幼い時から問題の多かった啓吾の生育に心身を捧げて来たことは啓吾自身が知っている。だから啓吾にとって、そしておそらく姉の容子にとっても、母は、どんな時でも、何が起こっても、母であり続ける特別且つ絶対的な存在なのだ。

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