建脇勉作:「早朝冬至景Ⅱ」F20
● 建脇さんの印象は、現場で厳しい人なんだなと言うことです。春には越後湯沢のスケッチ会、秋の浅間山のスケッチ会では、たまたま建脇さんのすぐ横でスケッチをしました。イーゼルを立て、作業用のエプロンをして油絵を描いています。丁寧にゆっくりと何度も何度も筆を運びます。「ここで手を抜いたらあとで後悔するんだよね“!」とおっしゃったのが今でも耳に残っています。ご老体ながら、重い油絵の道具一式を背負い、坂道を登って気に入った場所にイーゼルを立てとことん描く。スケッチの原点の様なものを教えていただいたような気がします。 ご冥福をお祈りいたします。
――――――福林紀之
● 建脇さん、今回の出展作品「早朝冬至景」見ました。ちょうど石川の絵の隣でじっくりと拝見。かっては建設現場の大型クレーンの活動風景が主体で、元気をもらいましたが、最近は小品展を含め、自然の風景の落ち着いた風景に変わりましたね。きっと、心が自然の静けさを求めたかのようなとも思います。
ゆっくりお休みください。
――――― 石川三千雄
● 春にはお元気なようすでしたのに驚いています。建脇さんには、会の行事で折に触れ、色々とご指導いただきました。私の絵を見て、山が立っているとか、木々の緑色や川、海の色は、未だ研究が足らない等と指摘され、今でも記憶に残り、試行錯誤の継続中です。また、建脇さんは写生会幹事として、長年ご苦労され、一生懸命でした。
初めての場所では、スケッチポイントを探し、入念に下見をされる等気配りの行き届いた先輩でした。後に、小生が写生会幹事を引き継ぐことになったのですが、先輩の真摯な取り組みを忘れずに、継続していきたいと思っています。生前のご指導に感謝申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
――― 清水全生
● 第61回東京黒百合展の最終日に、建脇さんが逝去されたことを聞き、あまりにも突然のことで驚愕しました。建脇さんは本会の大先輩であり、経験深く長年本会の幹事をされた大重鎮です。建脇さんは本会の各行事には殆ど全てに参加されていて、そのたびに多くの刺激を与えてくれました。建脇さんとは、北翔展と北香展を合同展にしたときにご一緒しました。当時私は北翔展に所属し、建脇さんは北香展の所属でしたが、現在と変わらず、当時も若々しく、派手さはなく、いつも落ち着いて穏やかに要所を抑えながら行動されていた。絵画作品について、時には厳しく対応され、矛盾があると遠慮なく指摘する・・・。このようなことが相まって人望が厚く人に好かれた一因になっていたのかもしれません。
「一泊写生会」については、長い間幹事を担当され、写生現場では油絵のスケッチに集中し、同一場所に長時間留まり制作に没頭する、宿での夕食後の合評会では、建脇さんの油絵のスケッチ画は、重量感があり半完成品のどっしりした作品で他を圧倒していた。当会が2ヶ月に一回、近作を持ち寄り、各人の作品批評を行う「合評会」にも欠かさず参加され、大いに刺激を与えてくれました。外部団体のデッサン会にも参加され、年配になられても意欲的にデッサン力のある絵を描かれて居り、以前公募展である太洋展にも出品、また日立OB会の展覧会にも積極的に出品されていた。若いころは通常に風景画や静物画を描かれていたが、途中でクレーンに興味を示し特に「迫る」と題し、展覧会の絵は一時このモチーフ絵オンリーでした。晩年転居を機にモチーフを「クレーン」から「風景」に戻り、構図に留意された様です。改めて建脇さんの絵を拝見すると、絵に対する情熱、信念のようなものが感じられます。このような絵を描く会員を失ったことは本会として残念至極です。しかし、本人は亡くなられましたが絵は残っています。建脇さんのことを忘れずにその意思を受け継いでいきたいと思います。
建脇さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌
―――牧野尊敏
― 自分の感性に思う ―
建脇 勉
「あなたは絵を始めて何年になりますか」の質問を何度も受ける。中学の頃からですとは返事をするのだが、自分の心は小学校一年生の頃からという意識がある。―中略― 当時、我が家は出征兵士の家で、残された子供四人は祖母に育てられ、役所の給付金でギリギリの生活をしていた。―中略-ある日、クレヨンが短くなり、色数も減って新しいものが欲しくてたまらなくなった。
買ってもらいたくて駄々をこねていたら、おばあちゃんが「いい絵を描いたら買ってあげる」と言われ、欲しさ一心で真剣に我が家の猫がスヤスヤと寝ている」姿を描いた。やっと描き終わって、これで買ってもらえるかどうか心配しながら見てもらったところ、「これは素晴らしい、猫が生きている」と評価され改めて自分で見直したものだった。―中略―中学での先輩絵画部員が部屋で描く油絵の強烈な魅力に惹かれ、自分もやりたいと強く願った ―中略―恵迪寮は4人部屋であったが、室隅でイーゼルを立てて描いた。中間色に魅力を感じ絵の具を色々欲しかったが、銭のない時でどれを選ぶか長い時間迷って二本選んで買って帰って見ると三本入っていた。店の主人がそっと入れてくれたのだろうと今でも思っている。また、寮費稼ぎにポスターに応募し二席の賞金をもらった。一席はすでに他界した漫画家のおおばひろし氏であった。―中略―入社した工場の絵画部に一水会の中村琢二先生がボランテイアをしてくださって、多くの事を学んだ。細い筆、中間色を捨てよ、色は丁寧に大きく作れ、眼を細めて本質を観よ・・等、大きな影響を受けた。―中略―戦中戦後の生活苦の時にも連綿として絵に関心を持ってきたことが自分の感性の構築に役立って居るのだろう。―中略―完成した作品が半年後見て全く不満足なもので、感性がぼけたかと自信を失ったり、また、まあまあの作品ができ、回復したりしている。どうも感性は幼い時からの感動の積分値であるらしく今後変えようもなく大切に付き合うよりないようだ。
――謹んでご冥福をお祈りいたします。
―――小石浩治
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